16日の札幌市、現役最後の大会に出場したのが妙高市出身の清水礼留飛選手です。
父の久之さんも見守る中、K点を超える大ジャンプを見せ、現役最後の大会を2位で終えました。
【清水礼留飛 選手】
「スキージャンプという夢中になれるものに出会わせてくれた両親に感謝申し上げます」
小学1年生のときに、久之さんの影響で始めたスキージャンプ。
兄の亜久里さんとともに切磋琢磨し、オリンピックの舞台を目指してきました。そして、転機となったのが…
【清水礼留飛 選手】
「オリンピックでメダルを獲得した。その瞬間、小さい頃からの夢が叶ったという充実感は競技人生を振り返ると、一番インパクトが大きかった」
2014年のソチオリンピック。
【実況】
「新潟県妙高市出身の二十歳、日本にスキーを伝えたとされるレルヒ少佐にちなんで名づけられた清水礼留飛」
清水選手は日の丸飛行隊の1番手として16年ぶりのメダル獲得に貢献。家族の夢が叶った瞬間でした。
【清水選手の父・久之さん】
「本当にジャンプをやらせてよかった。ありがとございます」
【清水礼留飛 選手】
「次のオリンピックでは、金メダルを取っている姿を見せられたらと思っている」
しかし、このオリンピックはさらなる高みを目指した清水選手に試練を与えます。
【清水礼留飛 選手】
「ソチオリンピックでメダルを取って、その後、世界で戦うために自分のスタイルを大きく変えたときにしっくりこなくて、前のいつもの自分に戻そうと思ったときには、もう戻れなくなっていて…」
長いトンネルから抜け出せず、もがく日々…そんな清水選手を支えていたのが地元・新潟からの応援でした。
【清水礼留飛 選手】
「『いや、まだいける!また、強い礼留飛選手を応援しています』と言われたときは特に頑張れかなと思う」
地元の応援を背に飛び続けた23年…
仲間からのメッセージが書かれたスーツを着て、現役最後のジャンプ台に立った清水選手。多くの人の思いを乗せた特大ジャンプで現役生活に別れを告げました。
【清水礼留飛 選手】
「僕はオリンピックで3位だったが、いつか僕が生きているうちに新潟出身の選手が金メダルを取るという夢を見させてもらいたいなという思いはある。その夢は後輩たちに託したい」
清水選手は今後、指導者ではなく会社の営業マンとして活躍するということです。最終更新日:Tue, 19 Mar 2024 19:21:34 +0900