20年前の“7・13水害”そのとき何が… 川が決壊するなか家に残る人も “避難の遅れ”課題に【新潟】

7月11日も一時土砂災害警戒情報が出されるなど、大雨による災害の危険性が高まっていますが、大雨により甚大な被害をもたらした7・13水害から13日で20年を迎えます。そのとき一体何が起きていたのか当時の映像をもとに振り返ります。
7月11日も一時土砂災害警戒情報が出されるなど、大雨による災害の危険性が高まっていますが、大雨により甚大な被害をもたらした7・13水害から13日で20年を迎えます。そのとき一体何が起きていたのか当時の映像をもとに振り返ります。

死者15人、1万3889棟の住宅に被害を出した7・13水害。

【リポート】
「降り続いている雨の影響で排水ポンプの水が逆流してあふれています」

2004年7月13日、前日から降り続いていた雨の影響で河川が増水。

三条市では午前10時すぎに1万を超える世帯に避難勧告が出され、避難所に身を寄せる人がいた一方…

【三条市五十嵐川消防】
「避難勧告は出たが、まだ自宅にいる方も何人かいる」

【住民】
「まだ、うちは大丈夫。(Q.避難はしない?)今のところは。物は上にあげたけど」

しかし、その住宅のある地域はすでに川の一部と化していました。

午後1時前には、長岡市中之島地区を流れる刈谷田川が決壊。

【リポート】
「今、決壊部分の正面に来ました。激しい流れが市街地へ流れ込んでいます。今、ご覧いただいている家、これは2階建ての家です。その1階は完全に水没しています。」

さらにその15分後、まだ多くの人たちが川の近くで様子をうかがう状況の中、三条市を流れる五十嵐川も決壊してしまいます。

【リポート】
「信濃川の支流、五十嵐川。この川が氾濫したため、三条市が水没しています。腰の辺りまで水で浸かっています」

【住民】
「(Q.1階はどんな状況?)倉庫全部が水浸し。(Q.家から出なくて大丈夫?)上だから大丈夫かなと思って」

7・13水害では6つの河川、11カ所の堤防が破れ街を濁流が飲み込んだのです。その勢いはすさまじく、わずか数分で水位が急上昇。

【カメラマン】
「ちょっと避難させてもらっていいですか」

【住民】
「どうぞ。(Q.何時ぐらいにこんな状況に?)たった今」

【カメラマン】
「水かさがどんどん上がってきていますね。逃げましょう。上がれますか?」

この7・13水害の際に課題に挙がったのが、避難の遅れです。

13日に避難指示が出されたのは見附市のみ。三条市や長岡市では勧告にとどまり、さらに情報の伝達の不備も指摘されたのです。

【三条市民】
「避難勧告は出たかもしれないけど、よくわからなかった」

【三条市 高橋一夫 市長(当時)】
「住民ひとりひとりに避難勧告が行きわたらなかったことは非常に残念」

現在、避難勧告はなくなり、住民にわかりやすいよう避難指示に一本化。

防災訓練などを重ねながら、迅速な避難につなげるための取り組みが続けられています。最終更新日:Fri, 12 Jul 2024 16:36:13 +0900