1972年(昭和47年)7月、新潟県から総理大臣が誕生した。54歳の若さで注目された田中角栄・新内閣総理大臣の登場に、新潟の街は沸き立った。「新しい風」に胸を膨らませながらも、生活の安定や物価、米価の問題など、令和の今にも通じる現実的な課題に期待と不安が交錯していた。激励の声、そして当時の複雑な本音とは。当時の喧騒と希望に満ちた空気を振り返る。
喜びに沸く新潟県民「新しい風と実行力」を求めて
「新潟県から総理大臣が出た。ね、期待してますよ」。NST報道特別番組では、街頭で数多くの市民インタビューが行われた。「この日本の停滞気味な気持ちを吹っ飛ばしてもらって」と願う声、「若いですからね、54歳。新しい新風を吹き込んでもらいたい」という評価。
多くの新潟県民にとって、田中角栄氏の総理就任は、地元から“日本を丸ごと変えるかもしれない”という夢が現実になった瞬間でもある。
「生活の安定にまず取り組んでほしい」
こうした声は高揚感だけでなく、現実の生活課題に直面しながら総理に“地に足のついた改革”を望んでいることを示していた。
新潟県民が田中角栄首相に望んだこと
番組内では、「国民のための政治をやってほしい」「実際の庶民の暮らしを守ってもらいたい」といったストレートな訴えが続いた。
物価や住宅、雇用状況に関する問題は特に多くの県民が語るところ。新潟県民だからこそ首相誕生を祝う空気が流れる一方で、「実際は毎日の生活が苦しい」「うちは子育ての負担が重い」という声も漏れていた。「田中さん、この度はおめでとうございます。国のため、県のためにも、ぜひご協力願います」
首相への祝福の言葉には、地元の誇りや感謝の気持ちと同時に、冷静な視線と「本当に現場の暮らしが変わってほしい」という現実的な願いが込められていた。
「新潟県知事×新総理」電話激励に込めた本音
当時の新潟県知事の亘(わたり)氏と田中角栄首相は直接電話で会談。そのやりとりは、単なる儀礼的な激励に留まらなかった。知事は「組閣を見てすごいグッドスタートだと思っている。内外の多くの問題を考えると大変な重責」と率直に述べ、米価や総合農政の課題にも触れた。
※総合農政:時代とともに変化する国民の要請に応え、食料・農業・農村の各分野にわたる政策を、関連する政策と連携させながら、一体的・多角的に推進する考え方や政策の枠組み。

亘新潟県知事は「新潟県の後進性脱却も“日本列島改造論”の根底。県民がみな期待しています。一所懸命体を大事にしてがんばってください」と激励した。
また、出稼ぎが日常だった新潟県の現状を念頭に「出稼ぎもなるべくないようにしたい」と願う発言もあった。新潟という“地方”が抱える課題を、そのまま国政へ繋げていく期待が分かる。
「新潟県民のリアル」—希望と不安が交差する
新潟県民、その誰もが「新しい総理が登場すれば、日々の暮らしも変わる」との関心を抱いていた。一方で、「国民の期待を裏切ってほしくない」「県民こぞって将来に大きな期待をかけている」と語る人々の姿も…。番組のキャスターは「田中さんが初めて総理になり、全国が注目している」とし、景気対策や日中の国交回復など、巨大な国政課題を一身に背負いながら、現場の細やかな声に応えることの難しさを指摘した。
当時の政策判断、その一つひとつが、新潟県民にとって「時代の分岐点」だったのだ——
※記事中の発言・内容は「NST報道特別番組 ガンバレ角さん!!新総理を激励する」による。
(新潟ニュースNST編集部)