【長谷川珠子 アナウンサー】長谷川珠子の過去・現在を徹底解剖!「可愛くなりたい」絆創膏でまぶた改造!?演劇部での経験生かし…並々ならぬ“お米&カレー愛”

2021年にNST新潟総合テレビに入社した長谷川珠子アナウンサー。「八千代コースター」や「NSTみんなのKEIBA」に出演する長谷川アナの過去、そして現在を紐解く完全独自の特集記事。興味のある人は、ぜひご一読ください!

■自己肯定感を高めたい…自力で手に入れた二重まぶた

画像左は高校時代の写真…。

どうにかして自己肯定感を上げたいと、毎日まぶたに絆創膏を貼って生活し、奥二重だった目を理想だった二重に変えました。二重幅が数ミリ広がっただけ。小さな変化と思われるかもしれませんが、目の印象が変わったことで自分に自信を持てるようになりました。

 

高校時代の長谷川アナと現在の長谷川アナ

研究を重ね、自力で二重幅を広げられたことが本当に嬉しくて、現在も元に戻らないようまぶたのマッサージは怠っていません。

■高校時代は演劇部!現在は映画デビューも

高校時代、演劇部の部長を務めていました。

当時部員は50人ほどいて、創部以来初となる単独公演を企画するなど、演劇部で仲間と切磋琢磨するクリエイティブな日々は、私の青春時代でした。

ただ…学園ものから時代劇、様々な演劇にチャレンジしたものの、主役に抜擢されることは一度もありませんでした。

笑顔で剣を振り回しているのが長谷川アナ

しかし、アナウンサーとなった今、「逃走中 THE MOVIE」に出演したほか、八千代コースター(毎週土曜10:25~)で演技経験が必要になることは多々あり、積み上げた経験は生かされているのではないか…と少しは報われたように感じています。

台詞はなかったが、表情の演技で本編ではたくさん見切れていた

 

■お米のPR大使“うつくしまライシーホワイト”として全国へ

大学は、日本大学芸術学部でテレビ制作について学んでいました。学生同士で番組を作る中で、出演者側に回ることも多かったです。情報番組を作ったり、お笑い芸人さんを呼んでバラエティ番組を作ったり…

その頃からアナウンサー志望と周りに話していましたが、回ってくる役は理想とかけ離れていました。

この後ローション相撲をさせられて、後ろの一斗缶に突っ込んだ…

一方で、食べることが大好きで、地元福島県のお米のPR大使「うつくしまライシーホワイト」も務めていました。

ちなみにライシーとは“ライス”と“ヘルシー”を掛け合わせた造語。福島県産のお米を全国に届けようと、北海道や沖縄など全国に足を運び、PR活動を行っていました。スーパーでお米の試食を配って、ひたすら福島のお米の美味しさをプレゼン。

福島の米は粒立ちが非常に良く、つゆだくの牛丼でもつゆに負けない弾力と粘りがあります。

自分の話に耳を傾けて、福島のブランド米を購入してくれる人がいると、心の底から嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。「食材の美味しさを自分の言葉で伝えたい」という思いはこの頃からより強くなり、今の仕事にも繋がっていると思います。

うつくしまライシーホワイト時代の長谷川アナ

 

■現在は“中国料理店のカレー”を探す日々

そんなお米好きが高じてなのか、中国料理店を訪れた際真っ先に探すのは、ご飯の最高の相棒“カレー”。

見つけたら絶対に注文。これは鉄則です。

「中国料理店のカレーはどこも絶品。なぜなら、ラーメンなどを仕込む時に使う豚や鶏、煮干しのダシを、“カレーの隠し味”として使っていることが多いから」

至極のスープを作るため追求して完成したダシを、カレーのスパイスと合わせれば、それは中華のいいとこ取りをした絶品カレーになる。

ルゥにコクが生まれ、スパイスの香りがより引き立った味わいがたまらなく好きなんです。

長谷川アナお気に入りの新潟市西区の中国料理店のカレー

写真は、お気に入りの新潟市西区の中国料理店で提供されているカレー。

他のメニューは一度も注文したことがないくらいに大好きです。

いつか、見附市出身のカレー・スパイス料理研究家・一条もんこさんのカレー教室に通うことが密かな夢です。

とろとろの牛すじ、とろみのあるたっぷりのルゥが大好きとのこと

座右の銘は「努力の分だけ花が咲く」。

高校時代の演技経験が八千代コースターの収録に生きていたり、ライシーホワイトとしてのプレゼン力が現在の食リポに生きていたりと、過去の努力は絶対にどこかで芽吹き、大きな花を咲かせると信じています!

いつか大輪の花を咲かせられるよう、これからも努力を惜しまず邁進していきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

(NSTアナウンサー 長谷川珠子)