【田中角栄 #2】元首相が語っていた“新潟県人の県民性” 「地味で堅実、そして信頼される」約50年の時を経て振り返る田中角栄×山岡荘八

1974年、総理就任から約2年を迎えた田中角栄氏が、新潟県人大会で語った「五つの大切なこと」と「十の反省」。戦後日本のあり方を見つめ、人間の条件を問う言葉である。
田中角栄氏

1974年、総理就任から約2年を迎えた田中角栄氏が、新潟県人大会で語った「五つの大切なこと」と「十の反省」。戦後日本のあり方を見つめ、人間の条件を問う言葉である。
作家・山岡荘八氏を迎え、約50分にわたり率直かつ真剣な議論が交わされた本対談。約50年の時を経て、田中氏が当時語っていたことをシリーズで振り返る。今回は、新潟県人の県民性に語った田中氏の言葉を振り返る。(全6回/2回目)

■「新潟県人はグループを作らない」

山岡荘八氏と田中角栄氏

田中角栄:
「新潟県人っていうのは、他の県人と違って、あまりグループを作らないんですよね。私も東京に出てきて、土佐の人とか鹿児島の人、山口県人なんかは非常にグループが固い。新潟県人はなかなかそういうことがない。私が目白に移った時、隣に私の会社の専務の従兄弟がいたんですが、5年ぐらい分かりませんでしたね。新潟県人っていうのは、自分で黙って働くから、なるべく人に迷惑をかけないようにと、こういうことですな」

明治13年当時、新潟県の人口は東京府や大阪、愛知よりも多かった。しかし、今では240万人に減り、東京は1100万人に増加。その間、新潟県人は北海道に60万人、東京や全国各地にも分散している。

田中角栄:
「全国の新潟県人が武道館に集まったのは、恐らく初めてじゃないですかね。私はそれを見て、ああ、こうして各地に出て土台、石の下にある石のように働いている。新潟県人がいい意味での出稼ぎで定着している。その数の中から、1人ぐらいやっぱり総理大臣が出たんだなという感じでしたよ」

新潟県人は「地味だが非常に堅実で、責任を必ず果たす」。新潟県人のお手伝いさんが来ると「新潟県人だと言うと蔵の鍵を預けて、みんな避暑地に行ってしまう」それほど信頼度が高い。田中氏は、その「新潟県としての味を政治の中にも生かさなきゃいかん」と感じたという。

山岡荘八:
「本当にそうですね。あの日、私は会長に選ばれたことになってますから、責任を感じて少し調べてみたんです。なるほど、動かすべからざる誠実な、しかも非常に誠実な、基礎的で礎石的なものになっている」

■薄利多売と勤勉さーー新潟県人の働き方

山岡荘八氏と田中角栄氏

田中角栄:
「新潟県人会を見ますと、やっぱり薄利多売ですな。風呂屋さんとか米屋さん、八百屋さん、魚屋さん。人の3倍働いて、収入が2倍得られればいいと。2倍働くというのは確かにありますな。群馬県に行きましたらね、高崎も前橋も新町も桐生も、新潟県にいたらみんな成功してるでしょ。どうしてかって言うと、9ヶ月で12ヶ月分働かなきゃいかんということで三国の山を越すと、普通に働いても4分の1だけは関東の人よりもよく働くんですな。」

山岡氏も同意する。

山岡荘八:
「それでなければ、日本民族がやっぱり発展していけないような気がする」と。資源が限られる中、勤勉さと誠実さに何かをプラスして世界へ出ていかなければならない。「今まで成功したから、これからも成功するという安易な考え方にはなれないわけなんですよ。一番大切なものが大切にされているだろうかと反省させられる。あなたはおそらく、新潟県から生まれた人たちの子どもたちに聞かせるつもりで書き抜いたことだろうと思うんです。それが実は、非常に重大なことだったってことがよく分かりました」

最終更新日:Sun, 28 Dec 2025 19:00:00 +0900