

アルビレックス新潟の主力として2022年シーズンのJ2優勝、J1昇格に貢献した高木善朗氏。新潟時代のサッカー生活からタイのクラブに移籍した理由、現役引退を決断した瞬間について高木氏に単独インタビューで聞いた。(シリーズの後編)
■あの街全体の一体感 2022年J1昇格の記憶

ー2022年はベストイレブンにも選ばれ、J1昇格も果たしたシーズンでした。最初から昇格できると感じていましたか。
「最初からあったわけじゃないと思います。開幕してからは、ウイルスの影響もあって、全然練習もキャンプ行ってもできなかった時期があって、結構不安な中、開幕を迎えて。最初のほうは勝てなくて、やれるのに勝てないしんどさみたいなのは通じてありましたけど、途中からはもういけると」
ーどこでそう変わったんですか
「選手同士の会話の中で、負けるイメージが湧かなくなったというか。J2ならどこと戦っても、そんなに負けるイメージがないというふうに思いましたし、ボールも毎試合自分たちが持てていましたし。どうやって勝とうかという話をみんなでするようになったころには、あ、今年こういうチームがJ1に昇格できるのかなというふうに、どこかで思っていました。でも口には出していなかったですけど。」

ーチームだけじゃなくスタッフもサポーターもメディアも一体感のある年だったなと思っていたんですけど。
「本当にそうだと思います。なんかこう、街全体で、今年は行ってよという気持ちと、今年は行こうよというみんなそういう感じだったんで。昇格後のパレードも、知っている顔の人が声をかけてくれたり、普段多分サッカーを見ていない人たちも見に来てくれたりとかもしたと思うので、街の一体感みたいなのもありましたし。今やっている選手たちにもまた味わってほしいというふうには思いますね」
-マイホームを購入されましたが、それもそういう雰囲気が影響したんですか。
「それは結構前から探していましたし。自分たちは置いておいて、子どもたちの出身地にはなるなと思ったので。うちの息子二人はしっかりとした新潟人なので、そこは大きかったですね。子どもたちの出身地になると思って。奥さんがここがいいと言ってくれたので、じゃあそこでというふうに。僕はほとんど家を決めていないんじゃないですかね」
ー新潟はどんな場所ですか、高木家にとっては。
「一番は、東京、横浜のほうから引っ越してきたときに、子育てしやすいというふうにうちの妻は言っていました。人柄とかじゃないですかね。男の子、走り回ってしまったりもするんですけど、嫌な顔せずに接してくれる方がすごく多かったので。自然もたくさんあるので、すごくいい経験を子どもにさせてあげているなと思ったら、やはりいいところだなと思いましたね」
■タイへの挑戦 家族全員で踏み出した新境地
ーアルビを退団して、2025年にタイへ行くことになりましたが、退団は急だったんですか。
「急ではないですけど、契約満了というふうに言われたので、出ていくしかないんで、それで出てきましたね。僕は、このままいても、またやれることは少ないだろうなという。J2に落としてしまって、上がったときに、というイメージを持ったら、多分チームはその契約満了の選択は、それなりにあるかなと思ったので。さみしいなとは思いましたけど、しょうがないかなとは思いました」
ーなぜタイを選んだんですか。
「オファーをいただいたというのが一番大きいですけど。新潟を出るときに、国内じゃなく国外も探していこうと思ったときに、タイのクラブが話をくれたので。子どもたちと家族みんなで海外に住むというのはちょっと経験してみたかったので、それで家族みんなで行きました」
ーJリーグとタイのリーグはやはり全然違いましたか。
「全然違いましたね。まず一年中暑いので、Jリーグみたいにずっと動き回ってというプレーは多分タイリーグではできないと思いますし、外国人枠の数が違ったりとか、規模によってはJリーグよりお金を使っているチームとかもあったりとか、結構特殊なリーグだなとは思いましたね。Jリーグもじわじわタイのサッカーとかサッカー人気に追いつかれてきているのかなとか、うかうかしていたらされないように頑張らなきゃなとか思いましたね」
■「サッカー選手の細胞が死んでいく」 引退という決断

ー日本に戻ってきて、選手を続けようかという悩みはなかったですか。
「ありました。最初、帰ってきたときは選手を続けようかなと思っていたりもしましたけど。奥さんに、サッカー辞めようかなとか、いろいろ自分がこういうふうになってきた時点で、あ、もう多分サッカー辞めたかったのかなとか。こうなっているときもあって、自分でちょっとそこは気づいたところでもあったんで」
ーよし辞めようとぽんと思ったのか、じわじわ悩んだのか。
「どうしようかなーもありましたけど、いろんな人に話したときに、辞める辞めないに関しては、いろんな考えがあるんだなと思いました。できるだけやったほうがいいという人もいれば、逆に、ラスト数年しかないと思っているんだったら、最後楽しく一年やれるところでサッカーやってきたご褒美としてやってもいいんじゃないかとか言われたりもしましたけど、私はなんか、楽しくだけはできないなと思ったので、やるなら真剣にだし、活躍したいと思ってやるので。まあ自分にはもうやれないなと思って、辞めました」
ー引退を決めた翌日はどういう気持ちでしたか。
「どちらかといえば軽くなりました。もう次何しようかなというふうになりました。引きずりはしなかったですね、辞めると決めてからは。なんかこう、一回決めたら、もうそのサッカー選手の細胞が死んでいくなと思ったんで。もう決めたことには逆らわず」
ー奥様はなんと言っていましたか。
「奥さんにはもう、辞めるわって。多分家で足を冷やしたりとかというのもなくなるんで、多分いつまでやっていくのかなというのは一番身近で見ていたと思うんで。辞めるって言ったときにはもういいんじゃないというふうに言ってくれましたね」
ーお子さんはどうでしたか。
「子どもは泣いていました。なんで泣いたかはちょっと僕も分からなかったですけど、ショックだったのか、もっとやってほしかったのか。まあでも子どもたちには、サッカー選手として、プロ選手として、いいところも悪いところも見せられたんで良かったかなと。自分が活躍して頑張っているところも見せられましたし、怪我して苦しんでいるところも多分見ていたと思うので、全部見せられたかなと思います」
ーお父さんや兄弟に相談したときはどんな反応でしたか。
「父はもう、辞めるのは簡単で、ギリギリまでやるのも得るものはあると思うし、今辞めてほかのことを頑張るのも自分の人生にとって得るものはあるし、サッカーを辞めたあとのほうが長いから、まあいろいろ考えなさいとは言われましたけど。弟はもう辞めんのみたいな感じから入ってこられましたし、兄は今も社会人リーグでプレーしたりしているので、そういうところでやる楽しさもあるよというふうに言ってくれました」
■サッカー人生を振り返って 最も幸せだった瞬間

ープロ生活の中で一番つらかったことは何ですか。
「やはり怪我したことじゃないですかね。歩く練習からスタートだったんで、あれはしんどかったというか、多分ちょっと病んでいた時期なのかなと思いますね。当時はそんな感じはなかったと思いますけど。ほんと鏡を見て自分の顔を見るのも嫌な感じはありましたね。サッカーの緊張感がない自分というか、そういうのがちょっと嫌だなと思ったんで」
ー逆に楽しかったことのほうが多かったですか。
「全然楽しかったことのほうが多いと思います。負けても、1週間練習があったら、また2日後くらいには自信を取り戻すんですよ。負けた試合のあとでも次の試合に向けて準備する中で、もうほんと2日後にはもう次勝てるわというメンタルになれるんで、まあそういう意味では向いていたなとは思いましたね」

ーサポーターの声援はやはり力になりますか。
「そうですね。試合終わったあとにブーイングされることも、負けても応援されることも両方あると思うんですけど、ブーイングされたなら、それを糧にというか、次ブーイングを見返してやろうぜくらいのモチベーションにはなりますし、負けても応援してくれる方がいるんだったらその人たちのために頑張らなきゃというモチベーションにはなるので。僕はほんとに大体2日後にはいけると思っていました。」
ーサッカー選手として最も幸せだったと思った瞬間はどこですか。
「やはりビッグスワンで、僕が怪我したときに、みんなが33番のボードを掲げて迎えてくれたときが一番こう、もちろんJ1昇格もうれしかったですけど、個人のプロ選手としては一番、サッカーやっていて良かったなというか、ここのチームでサッカーやっていて良かったなと思えた瞬間でしたね。もしかしたら怪我していなかったらなかったかもしれないですけど、あれはやはり自分の中では一番大切な瞬間かなと思います」
ー人生のターニングポイントを挙げるとしたらどこでしょうか。
「でもやはりサッカーを始めたことじゃないですか、自分の中では。サッカーを始めていなかったら、こんなに楽しく今もいれていたのかなとか、サッカーと出会えたからここまで今の自分がいるのかなって思うので、そこはそうかなと思います」
ーこれからのキャリアについてはどうお考えですか。
「指導者を目指すのか、別の方向に行くのかはまだちょっと決まっていないんですけど。自分のこの経験を経てやれることがなんなんだろうとか、これから真剣に向き合えることなんだろうというふうなことは今考えながらやっていて。今は子どもと接する時間も、子どもの試合を見に行けたりとか、今まで見に行けていなかったものが見に行けているので、意外と充実してしまっているのがちょっとありますね。」
ーサッカーに限らずプロを目指している子どもたちに伝えたいメッセージはありますか。
「やはりプロになるということはすごく大変ですし、プロになってからのほうが、なることを目標にやるんではなくて、なってからのほうが大変なので、そのなってからのための努力を続けなきゃ到底プロにはなれないと思いますし。でも本当に大変なだけではなくて、めちゃめちゃ楽しい生活が待っていると思うので、プロ選手になると、ずっとその自分の好きなことと向き合えますし、いろんな仲間と出会えますし、本当に目指す価値のあるものだと思うので、頑張ってほしいなと思います」
高木氏の人生を変えたサッカー。26年9月からはアルビレックス新潟のサッカースクールのコーチに就任し、今度は子どもたちにサッカーの楽しさと夢を追うことの大切さを伝えていく。
最終更新日:Fri, 02 Oct 2026 17:01:00 +0900




