雪国に根付いたバテンレース
強い日差しを優しく遮る日傘。この日傘を上品に見せるのは、糸が織りなす幾何学模様が美しい「バテンレース」。
6月24日、上越市の文化財・旧今井染物屋で、そのバテンレースの教室が開かれていた。
生徒:
小さいときにおばあちゃんが冬に内職をしていたのを見ていた
生徒:
昔からおばあちゃんたちが内職しているのを見て、憧れがあった
上越市でバテンレースの生産が始まったのは明治時代。講師を務める吉田節子さん(72)は、バテンレースに携わり50年になる職人だ。
吉田節子さん:
地域にバテンレースがあることを知ってもらおうと教室を始めた
吉田さんの祖父が1892年に創業した「吉田バテンレース」。130年の歴史を吉田節子さんが引き継いでいる。
吉田節子さん:
ドイツのバテンブルグ地方の名前から「バテンレース」となっている
ドイツ発祥といわれるバテンレースが上越市で生産されるようになったのは、雪に理由がある。
吉田節子さん:
上越は雪がたくさん降るので、男性は出稼ぎに行き、女性は手仕事ということで内職として広まった
雪国の女性の粘り強さに、糸を編む地道な手仕事が受け入れられ、バテンレースが上越に根付いたという。
吉田節子さん:
大正時代には、バテンレースに携わる人が7000人~8000人いた
ぼぼ手作業!手間暇かけるバテンレース
バテンレースの特徴は、「ブレード」と呼ばれる平たく編まれた糸を使うこと。
左右の端に通された糸を引くとしなやかに曲がり、そのきれいな曲線の隙間を糸で編み込むことで幾何学的な模様が上品な美しさを表現する。
吉田節子さん:
引き糸を引っ張ることでブレードが曲がる。引き糸なしでは曲がらない。これがバテンレースの一番の特徴
吉田さんが案内してくれたのは、50年ほど前から使われている糸を編んでブレードにする機械。
吉田節子さん:
ブレードだけは機械で作って、あとは全て手仕事。針と糸だけで模様を作る。すごいでしょ
手間のかかるバテンレースは昭和の後半になると、安く量産される海外製品などに押され、売り上げが減少。職人も数えるほどまでに減った。
それでも吉田さんは…
吉田節子さん:
いい仕事をして、いいものを販売すれば、分かってくれるお客様も多いので
客:
神奈川・鎌倉市から来た。母が上越市高田出身で、家にバテンレースがあったので、懐かしい
客:
バテンレースをつなげていって、広めてもらいたい
バテンレース教室で“楽しさ”伝える
70歳を超え、職人としてまだまだ現役の吉田さん。
この伝統の技を次の世代につなごうと、吉田さんが10年ほど前に始めたのがバテンレースの教室。難しい編み方も優しく丁寧に教える。
生徒:
難しいけど楽しい
生徒:
バテンレースの良さを知れるのは、上越市に住む者としてありがたいこと
こちらの女性は、シンプルな市販のバックを自分で作ったバテンレースで装飾していた。
生徒:
初心者でも、教えてもらったバラのモチーフを自分の持ち物につけて楽しめる。小さな楽しみを積み重ねていける
生徒の発想から新たな商品開発
大きいものは制作に時間がかかるため高額になってしまうバテンレースだが、より多くの人に手軽に楽しんでもらおうと開発した商品がある。
吉田節子さん:
これは今年の新作で、襟のないワンピースやブラウスの上にのせる
ニットの上着などに合わせるだけで、服をエレガントに演出するバテンレースの襟。バテンレースの教室で生徒が気軽に楽しむ姿などをヒントに商品化した。
吉田節子さん:
すごくおもしろいものを作っていただいて、こちらのほうが感激することがある。教えることは、教えてもらうことでもある
丁寧な仕事はそのままに、新しい発想も取り入れながら守る伝統。
雪国で受け継がれる優しく美しい技が織りなす幾何学模様だ。