新潟市で“二十歳のつどい”
1月7日、新潟市中央区の朱鷺メッセに集まったのは、華やかな晴れ着を着て、笑顔で写真を取り合う若者たち。
マイクを向けると語られるのは、古い友人などとの再会を喜ぶ声だった。
「久しぶりの人に会えてめっちゃ楽しい。みんな自立しているなと感じる」
「みんな変わっていて、誰か分からない人もいるくらい。新型コロナもあったけど、みんなで会えてよかった」
「中学校とか小学校とか5・6年ぶりに会う人とかもいる。色んな人と会えて楽しい」
新潟市で開かれた二十歳のつどいには、今年度20歳を迎える7269人のうち、約4000人が集まった。
式典で岩田陽尊さんが二十歳の主張を述べた。
「昨今、世界中では未知のウイルスや戦争など未曾有の事態ばかりが起きて、不安でいっぱいの時代を私たちは共に歩んできました。私たちの当たり前の青春は奪われ、またこの先もどうなっていくか分からないのも事実です。だからこそ情熱を持って生きることが大切だと思います。いつ私たちの当たり前が奪われてしまうか分からないからこそやってみるのです」
栁祐太さんは二十歳の主張で、家族やまわりの人への感謝の思いを言葉にした。
「20歳としてこの場に立つことができたことも、一重に友人や先生方をはじめ、多くの方々の支えのおかげだと感じています。特に20年間、一番の味方でいてくれた家族には感謝してもしきれません」
二十歳を迎えた人たちに対し、新潟市の中原八一市長は「ポストコロナ禍は若い方々が思い切って物事に挑戦できる時代になる。明るい未来に向かって、今まで以上にぜひたくさんのことにチャレンジしてほしい」とエールを送った。
将来の夢は? 親へ感謝の言葉も
式典は新型コロナウイルスの影響で去年まで2部制だったが、今回は4年ぶりに通常開催に。
参加者たちは友人との再会を喜ぶだけでなく、親への感謝や将来の夢を抱いていた。
「将来、客室乗務員を目指しているので勉強を続け、なるべく夢を目標にして、客室乗務員という夢を叶えられるようになりたい」
「今アイドルをやっていて、みんなに元気をもらったのでもっと頑張る。みんなに元気を与えたい」
「こんな自分をここまで育ててくれたのにも感謝しかない。両親に伝えたいのは、ありがとうと大好き」
「昔からお母さんにたくさん迷惑をかけてしまったと思うが、20歳になるまで育ててくれてありがとうと伝えたい」
生まれた年に中越地震 式典前には能登半島地震も…
一方で、元日に発生した能登半島地震への恐怖を語る人も。「(中越地震の)話だけは聞いたことあったが、それ以来、こんなに大きい地震を自分で経験したのが初めてだったので本当に怖かった」
今年度20歳を迎える世代は節目に大きな地震を経験している世代でもある。
20年前…彼らが生まれた年には中越地震が発生。
そして、2024年1月1日には能登半島地震が発生し、県内も長岡市で最大震度6弱、新潟市で最大震度5強を観測した。
節目を迎え、大人としての自覚を新たにした参加者たちは、今回の地震の経験を踏まえ、日頃の備えの大切さも実感していた。
「自宅は石の塔が倒れたり、食器棚が倒れたりすごかった。周辺も道路が液状化していた。たまたま、そのとき家族でいて、わちゃわちゃしていて、どうしようどうしようとなったので相談は必要かなと思う」
「地震のときはこうしようとか、どこに逃げようとかというのは、おばあちゃんとかが私たちに声をかけてくれる。そういう備えの話は常にしている」
「中越地震は覚えていないけど、ちょうど1週間前に大きな地震があったということで、常に気を抜けない状態だと思っている。今回も急に災害が起こってしまった。いつ、こういうことが起こるか分からないので、一日一日を大切に過ごしていけたらいいなと感じた」
大人の自覚や感謝の思いを胸に、将来の夢や目標に向かう若者たちのこれからの飛躍に期待したい。