時代の波に乗って大きく変貌を遂げた街がある。新潟県湯沢町だ。1980年代から90年代初頭にかけて、この町は空前のリゾートブームに沸いた。関越自動車道の開通、リゾートマンションの林立、そして若者たちで賑わう苗場。
今回は、NSTが所有する貴重な映像資料を基に、バブル全盛期の湯沢町の姿を振り返る。あの頃の熱気と、時代を映す風景の数々を、タイムスリップしながら見ていこう。
関越道開通がもたらした光と影
1985年、関越自動車道が全線開通した。
これにより、首都圏から新潟へのアクセスが飛躍的に向上。しかし、その反面で新たな問題も浮上した。それが「関越トンネルの大渋滞」である。
当時のニュース映像には、延々と続く車の列が映し出されている。「関越トンネルで20キロ、30キロ」というアナウンスが、カーラジオから流れる。今の湯沢では想像もつかないような大渋滞だ。
映像に映る車両のほとんどがセダンタイプであることも、時代を感じさせる。現在では当たり前に見かけるSUVの姿はなく、まさに80年代を象徴する風景と言えるだろう。
リゾートマンション建設ラッシュの光景
バブル経済の波に乗り、湯沢町ではリゾートマンションの建設が急ピッチで進んだ。
資料によると、1991年までの6年間で約1万戸ものリゾートマンションが販売されたという。町の至る所で建設ラッシュが繰り広げられ、クレーンが林立する様子は圧巻だ。「ここに別荘を持つことがステータス」と考える人々が、こぞって湯沢町に投資した時代だった。
映像には県外ナンバーの車がずらりと並ぶ様子が映っている。
地元の人々は、急激な変化に戸惑いながらも、観光客の増加を歓迎する気持ちがあったのではないだろうか。
苗場:スポーツ合宿の聖地からフジロックの舞台へ
現在、音楽フェス「フジロック」の開催地として知られる苗場。しかし、36年前の映像を見ると、その姿は大きく異なっている。
当時の苗場は、学生たちの夏のスポーツ合宿地として賑わっていた。緑豊かな高原、澄んだ空気、そして清流。これらの自然環境が、若者たちを惹きつけていたのだ。
「今、アジアのトラベラーの間で日本の野山の川の綺麗さが人気だという」というコメントのとおり、その魅力は当時から変わっていないようだ。
バブル期を彩る原色の世界
映像を見て特に目を引くのが、当時の色彩感覚だ。車も看板も、そして人々の服装も、全体的に原色が目立つ。今の目で見ると少々派手に感じるかもしれないが、これこそがバブル期の象徴とも言える。
「何事も蛍光色」、まさにその通りだ。現在のファッションや街並みと比べると、その違いは一目瞭然。時代の空気感を色で表現するとしたら、まさに原色と蛍光色の組み合わせ、だろう。
バブル全盛期の湯沢町。それは、経済の勢いと人々の熱気が交差する、まさに時代の縮図だった。関越道の開通、リゾートマンションの乱立、若者で賑わう苗場。そして、それらを彩る原色と蛍光色の世界。
あれから30年以上が経ち、湯沢町の姿も大きく変わった。しかし、この映像が捉えた瞬間は、日本の一時代を鮮やかに切り取っている。「こんな時代がまた来るのでしょうか」というナレーションの問いかけに、私たちはどう答えるべきなのだろうか。
過去を振り返ることで、現在の湯沢町の姿がより鮮明に浮かび上がる。そして、これからの湯沢町がどのような未来を描いていくのか。その答えは、まだ見ぬ未来の中にある。
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