
1998年の長寿の秘訣:働くこと、体を動かすこと
世の中の動きを知り、誰かのために何かを作る
1998年9月の敬老の日。新潟市では、恒例となっている市長による長寿のお祝い訪問が行われた。この年の主役の一人は、明治32年(1899年)生まれの女性だった。
当時の長谷川義明市長が「もっと丈夫に長生きしてほしい」と言葉をかけると、女性は「こんな役に立たない者に…とんでもない、ありがたいことです」と静かに微笑みながら応じていた。祝いの席は、女性の日常や人生観を知る貴重な時間となった。
長寿の秘訣は「日記」と「新聞」と「編み物」と「オリジナルドリンク」
長生きの秘訣は、意外にもシンプルなものだった。「日記は毎日、欠かさず書きます。新聞も丁寧に読みます」、「世の中の動きを知ることが大事なようです」と親族は話す。社会に関心を持ち続ける心が、元気の源になっているようだ。他にもオリジナルドリンクも長寿の秘訣だとか。
もうひとつの楽しみは、大切な家族のための編み物。取材した日の直近では、ひ孫のためにチョッキ(ベスト)を編んだとのこと。「孫やひ孫のために何かを作ってあげられることが、一番の楽しみ」──家族を思う気持ちが、長寿へ続いているのかもしれない。
仕事から帰るころには元気が湧いてくる
同じく1998年の敬老の日、新潟県のある町で100歳を迎えた一人の男性のもとに、当時の平山征夫知事が祝いに訪れた。
知事は「このたびは本当におめでとうございます。100歳を元気に迎えられたことを、心からお祝いいたします」と丁寧に挨拶し、家族や地域の人々からも静かな祝福の空気が漂った。
この男性は、日清戦争と日露戦争の間に生まれ、二男四女を育て、今ではひ孫までいる大家族の家長だ。「本当に夢にも思ってみませんでした」と心境を語り、「長生きしたおかげですね」と、ご自身の人生をしみじみ振り返った。
長寿の秘訣は「働く事」
長寿の秘訣について尋ねられると、「やっぱりそれだけ、働かなきゃ」と笑いながら答える。「家から出る時は、“歩かんねや”って言ってたけども、仕事やめて、帰りには全然えんで(歩いて)帰って来られる。やっぱり人間、体よう動かさんきゃだめなんです」と、穏やかに語っていた。
こうして、時代を超えて生き抜いてきた男性の人生と、その背中を見てきた家族や地域の人々――敬老の日は、長寿の重みと感謝を静かに感じ合う温かな一日となった。
2023年の長寿の秘訣:働くこと、体操すること
一方、令和の時代――2023年9月18日敬老の日。現代の長寿者の「秘訣」はどうなっているのでしょうか。
勤続60年以上、超ベテラン職人の元気の源
「100歳のご長寿おめでとうございます」
敬老の日のこの日、新潟県の花角知事と燕市の鈴木市長が訪れたのは、燕市に住む女性(100歳)のお宅。1923年(大正12年)5月4日生まれのこの女性は、驚くべきことに2023年5月まで燕市の柄沢ヤスリで現役の職人として働いていました。
「100歳まで働こうとは思わなかったけど、結局都合によって…今の社長さんも頑張ってくれなんて言われると、まさかさじを投げる訳にはいかないもので」と、女性は穏やかに語る。
勤続60年以上、90代ではヒット商品開発にも携わり、燕市から表彰も受けたこの女性。一度も大きな病気をせず、90代まで毎年米山や護摩堂山などに登っていたという。
長寿の秘訣を尋ねると、テレビを見ながら体操をすることだといいます。「手をあげたり広げたり…退屈になるとその番組を見て練習するとスカッとする」と笑顔で答えた。そして好き嫌いせず毎日3食食べることが元気の源だそう。
共通点と時代の変化
1998年の高齢者も2023年の高齢者も、“自分らしい毎日”を意識し、動き続け、前向きな心持ちを失っていない。それぞれの時代、それぞれの人生に長寿の秘訣があった。
共通点:
- 働くことの喜び ―― 1998年、2023年共に、高齢になっても「働く」ことを生きがいに
- 体を動かし続ける ―― 日常的な運動や労働が心身の健康を支えている
- 前向きな姿勢 ―― 困難があっても「さじを投げない」という精神
変化した点:
- 長寿の多様化 ―― 1998年は労働と歩行が中心だったが、2023年では趣味や体操など自分なりの健康法へ
- 社会との関わり方 ―― 現代では「ヒット商品開発」など社会貢献の形が広がり、評価される機会も増えた
- 医療や生活環境の進化 ―― 大きな病気をせず90代まで山登りができる身体づくりには、現代の医療や食生活の改善も影響しているかもしれない
時代が流れても、家族や社会を思う気持ちと、前向きな暮らしが、長寿の秘訣なのかもしれない。
(新潟ニュースNST編集部)