妻夫木聡さんと大友啓史監督 公開中の映画“宝島”のアンバサダーとして新潟に!妻夫木さん馴染みの寿司店も!?「新潟のコメは食べる度に感動♪」

2025年9月19日に公開された映画「宝島」。その公開前に、主演の妻夫木聡さんと大友啓史監督が新潟を訪れ、映画への思い、そしてこれから映画を観る人へメッセージを語った。

映画“宝島”のアンバサダーとして来県

主演を務める妻夫木聡さんは本作へのたぎる想いを胸に、“宝島宣伝アンバサダー”として全国行脚することを宣言し、8月、大友啓史監督とともに新潟を訪れた。

映画を一足早く見た観客の前に姿を現すと、さっそく新潟の印象について話してくれた。

妻夫木さんは「2016年公開の映画『ミュージアム』や大河ドラマ『天地人』など、新潟には色々な作品でお世話になっている。映画の撮影で2カ月くらい新潟に滞在した時は、信濃川をよく走っていた。よくそこらへんに出没していたが、あまり気付かれなかった(笑)」と会場の笑いを誘っていた。

妻夫木聡さん

新潟の印象を聞くと、「新潟の米は食べる度に感動を覚える」と話した妻夫木さん。大河ドラマ「天地人」で主人公の直江兼続を演じた時のことを回想し、「『越後は今年も豊作じゃー!』という台詞通り新潟はお米の印象がすごく強く、今日もお昼に塩むすびを頂いたが、やっぱりお米が美味しい。生きているありがたみを感じさせてくれる」と語った。

また、妻夫木さんは新潟になじみの寿司店があり、映画撮影中やその後、新潟を訪れた際は、よく訪れているという。

大友啓史監督

一方で、大友監督は新潟の印象について「監督した映画『ミュージアム』のロケ地で妻夫木くんがカエル男の仮面をかぶって、妻夫木くんだということは内緒で来たのに、それが密かに伝わっていたようで、撮影の時に万代に人が集まって大変なことになった」と当時のことを振り返った。

「先人たちの想いを胸に演じる」

戦後、アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描いた映画「宝島」。

妻夫木さんは、アメリカ軍基地から物資を盗み、困窮する住民に分け与えていた若者たち、戦果アギヤーの一員、グスクを演じた。グスクを演じる上で沖縄の歴史について学ぼうと何度も現地に足を運んでいたという話の中で、妻夫木さんが感情を露わにしたシーンがあった。

沖縄の友人の案内で戦時中、集団自決が行われていたガマと呼ばれる自然洞窟を訪れたという妻夫木さん。訪れたチビチリガマでは、アメリカ軍による無差別襲撃への恐怖から、親が子供を殺したりしていた事実を聞いたという。妻夫木さんは「夫が鎌で妻を殺そうとしたが、あまりにも頭蓋骨が硬く、刃が飛んでそれが子供当たって死んだ」と涙ながらに話し、こう続けた。

「映画「宝島」は戦争映画でも反戦映画でもないが、とても大事なメッセージが入っている。先人たちの想いを胸に、僕らはちゃんと生きようと、そして、希望ある未来を残そうというメッセージが込められている」

さらに、ガマだけでなく歴史をたどる資料館なども訪れたという妻夫木さん。「資料館に行ったり、自分が演じた刑事をやっていた方に話を聞いたり、コザ暴動に参加させた方に話を聞いたりした。

コザ暴動は、怒りや憎しみによって起きたと文献には書いてあるが、実際に参加した人に聞くと、怒りという言葉以外のものが確実にそこにあったという。それは一体何なのか、それを僕たちは映画を作る上で考えなくてはいけないし、そこにどう向き合うか相談しながら撮影していた」

「自分にとっての宝は何なのかを探すきっかけに」

構想に6年という時間をかけている、映画「宝島」。コザ暴動を始め、当時の沖縄で実際に起きた出来事も織り交ぜながら描かれている。

大友監督は「若い人にこそ見て欲しい。今を生きるために必要な何かがこの映画にある。なぜ沖縄が”宝の島”と呼ばれるようになったのか。

 

映画を観た後、一人一人が持ち帰って、それぞれの大切にしていく、宝とは一体何なのか考えて欲しい」と話した。戦後、日本とアメリカの間で揺れ動いた沖縄県民は、どんな葛藤を抱き、涙を流したのか。今を生きる日本人として、そこにうずめいていた様々な感情について、考えるきっかけになる作品だ。

(NSTアナウンサー・長谷川珠子)