2025年10月に「ケンタッキーフライドチキン」が、14年ぶりに万代シテイに復活したことが話題になった。工場地帯から新潟を代表する商業エリアとなった新潟市中央区の万代シテイ。いまでは買い物や映画、イベントなどで多くの人が行き交う、新潟を代表するエリアだ。しかし、この場所が最初から商業地だったわけではない。NSTに残るアーカイブ映像をもとに、万代シテイがどのように生まれ、姿を変えてきたのかを振り返る。
1960年代 工場地帯のようだった万代地区から商業地区へ
1960年代の万代地区には、新潟交通の本社や整備工場、バス車庫、社員寮が集まり、現在のような商業エリアとはまったく異なる景観だったという。
高度経済成長の中でインフラ整備が進む一方、1964年(昭和39年)には新潟地震が発生。昭和大橋の倒壊や石油コンビナート火災など、市内各地に甚大な被害をもたらした。
万代地区も液状化現象により、新潟交通の建物が約1メートル沈下。バス車庫は倒壊し、街は一時、廃墟のような状態になったという。
復興と転換 |「空いた土地」から始まった構想
その後、新潟交通は万代地区に集中していたバス車庫を、市内各地へ分散配置することを決断。災害リスクの軽減と利便性向上を目的としたこの判断により、万代地区には空き地が多く発生した。
この空き地を活用し、新たな商業地区をつくる構想が動き出す。
1970年代|万代シテイの出発点はボウリング場
第二次ベビーブームの真っ只中、オイルショックによる物価の急騰などを背景に戦後の高度経済成長がピークを迎え、社会全体が転換期に差しかかった1972年(昭和47年)、万代地区に最初に建てられた施設が「万代シルバーボウル」だった。
当時は空前のボウリングブーム。2フロアで100レーンを備えた大規模施設で「1ゲーム100円」「長い待ち時間」だったという話も残っている。
翌1973年(昭和48年)にはバスセンタービル、レインボータワー、そして現在のラブラ万代の場所にダイエーがオープン。ここで「万代シテイ」が誕生する。
レインボータワーは高さ100mの回転式展望台で、新潟市のシンボルとして長年親しまれた。
ダイエーの開店日はオイルショックの最中で、この日だけで約8万人が訪れ、トイレットペーパー売り場に殺到する人々の映像が残っている。
年代は不明だがNSTのアーカイブには「マグロの解体ショー」ならぬ、「クジラの解体ショー」がダイエー前で行われている映像が残っていた。透明の衝立で囲われた中で、2人の職人がクジラをさばいていて、そのまわりには多くの見物客がいる。
1970年代の当時の日本では、まだクジラは安価で栄養価が高い食材として、学校給食や家庭の食卓に並ぶほど一般的に食べられていて、クジラの「解体ショー」もイベントとして全国的に行われていたようだ。
1975年(昭和50年)には「万代シルバーホテル」、当時書店としては県内有数の売り場面積だった「紀伊国屋書店」と「三越エレガンス」もオープン。
アメリカからファストフード文化が日本に伝わり、より手軽に食事を楽しめるようになった1979年(昭和54年)には、シルバーボウルの隣(現在のラブラ2の場所)に、マクドナルドがオープン。その後、ミスタードーナツやケンタッキーフライドチキンも相次いでオープンする。初めてファストフードを食べたのは万代シテイだったという方も多いのではないだろうか?
この3店舗の登場により、ファストフードは新潟県内でも一般的な存在になった。特に若者に絶大な人気を誇り、休日の昼時には店の外まで行列ができるほどだった。
1980年代|万代が「買い物の中心」へ
1980年代に入ると、上越新幹線の開業や関越自動車道の全線開通を背景に、新潟はバブル期へ向かって勢いを増していく。1981年に万代シテイ第一駐車場、1984年には第二駐車場と新潟伊勢丹がオープン。
新潟伊勢丹の開店日には、平日にもかかわらず約10万人が来場し、1日で約2億3000万円を売り上げたという。
大手デパート伊勢丹のオープンは、新潟市の買い物の中心地が古町や本町から移る転機となり、若者だけでなく幅広い世代の人々が万代シテイに集まるようになった。
バスセンターから新潟伊勢丹やホテル、駐車場などをつなぐ連絡橋。今では当たり前の風景だが、当時は公道の上に商業施設の橋をかける例がなかったため、なかなか許可が下りず工事が進まなかったのだとか。
今では万代シテイは連絡橋がかかり、信号待ちをすることなく万代シテイを回遊したり、やすらぎ堤まで歩いていけるようになった。
新潟伊勢丹がオープンした年には、「万代シネモール」もオープン。
オープン当初は1階に若い女性に人気の雑貨店や洋菓子店、2階にはレストラン、地下には映画館等たくさんの店舗が入っていた。出店する店舗の店主は当時「万代シネモールは大いに勝算がある。売り上げに期待したい」と語っていた。
1987年、ハーゲンダッツアイスクリームがオープン。この頃は全国にハーゲンダッツの店舗があったのだとか。
シネモールビルに映画館ができてから、ハーゲンダッツの左上の壁には映画看板が出されるようになった。ちなみにこの時は「クロコダイルダンディー」と「オーバーザトップ」の看板が出されていた。
NSTアーカイブで調べてみると、この場所はこの建物ができるまでは広場のようになっていて、イベントなども行われていたようだ。
現在は建物の後ろ側に隠れているが、バンドの後ろにはバスセンタービル2階広場に通じる階段が見える。
1990年代|若者だけでなく家族連れも集まる街に
バブル景気の終了で日本の景気が低迷する中、1995年(平成7年)に、現在のBP2の場所にセガのアミューズメントテーマパーク構想に基づいた施設「ジョイポリス」がオープン。

国内で5番目の大型レジャー施設で、ライド型アトラクションや、アーケードゲーム等もあった。中でも目玉は、映像と可動式の座席を連動させて映像の中に入ったような臨場感が味わえる「ライドフィルム」。これは当時、日本初公開だったのだとか。後に“早すぎたVR体験”と言われた。

サッカーW杯フランス大会(1998年)の日本戦の日には、ジョイポリス前に大型モニターが設置され、観戦イベントが開かれた。日本代表のユニホームを着た多くのサポーターが集まり大変な盛り上がりを見せた。
1996年(平成8年)にビルボードプレイスがオープン。オープン時には、テナントの9割が新潟初出店だった。

建物の内外に広告(ビルボード)を配置し、店内にいながら街並みを散策しているような雰囲気が演出されている。これは、ニューヨークのタイムズスクエアをモチーフに作られたのだという。
かつてトヨタのショールームがあった場所に、1996年(平成8年)コズミックスビルがオープン。
このビルの1階には一時「エチゴビール」のパブがあった。「エチゴビール」は当時、日本発の地ビール(クラフトビール)として話題になっていた。
2000年代|買い物だけでなく暮らす街に
2001年(平成13年)にBP2、Tジョイ新潟、スターバックスコーヒーがオープンする。
スターバックスコーヒーはオープン時には大変な話題となり、行列が絶えなかった。
ラテやモカ、キャラメルマキアート等、新しいコーヒーの飲み方をこのお店で知った人も多いのではないだろうか。
2002年(平成14年)、三越エレガンスだった場所に新潟アルタがオープン。
若い女性を中心に大ブームを巻き起こした“ギャル文化”を牽引するような店舗や、プリントシール機が並び、若い女性で賑わっていた。セール時には大音量で店内BGMを流し、店員はメガホンを使って声を嗄らしながらお客の呼び込みをし、お客も大きな声で話をしていた。
2005年(平成17年)にはダイエーが閉鎖され、2007年(平成19年)にはラブラ万代がオープンする。

ラブラ万代のオープン日には建物の周りに行列ができていた。オープン後1か月の売り上げは当初見込みの1.4倍だったのだとか。この年、万代の地下が前年から3%上昇し、県内で最も高い値上がり率になった。
これまで“買い物の街”だった万代エリアにマンションが建ち始め“住む街”になったのもこの頃からだ。
2011年(平成23年)にシルバーボウル、マクドナルド、ミスド、ケンタッキーが閉店し、その場所に2013年(平成25年)にラブラ2がオープンすると、2015年(平成27年)に活動を開始したNGT48がラブラ2に専用劇場をオープンさせる。
NGT48という曲の歌詞に登場する万代の場所を巡ったファンも多くいた。
2013年(平成25年)にメディアシップがオープン。
東日本大震災の影響で2012年(平成24年)にすでに営業を終えていたレインボータワーが、2018年(平成30年)老朽化により解体。

それまで新潟市のシンボル的存在だったレインボータワーには、延べ341万人が搭乗したという。解体が始まる日もたくさんの人が訪れていた。
2025年(令和7年)に、かつて新潟アルタだった場所に、すでにオープンしていたマクドナルドとミスドに並び、ケンタッキーがオープン。

「懐かしい景色が帰ってきた」と、たくさんの人が訪れた。
■万代シテイは、これからも“定番”であり続ける
万代シテイは、時代ごとに役割を変えてきた。工場地帯から商業地へ、買い物の街から遊びの街へ、そして暮らしに近い場所へ。
形は変わっても、「行けば何かある」という感覚は、ずっと変わらない。
次に万代を歩くとき、「あの店ができたのはいつだったかな」。そんなことを思い出しながら歩いてみるのも、案外楽しいかもしれない。
(新潟ニュースNST編集部)




















