終戦間際の1945年8月1日、長岡市を襲った空襲では、焼夷弾による火の海から逃れようと、多くの人が柿川に飛び込み命を落としました。
その柿川で、1日行われたのが、慰霊と平和への願いを込めた灯籠流しです。
【空襲で母を亡くした 谷芳夫 さん】
「母に抱きかかえられたときは、既に家の中は炎に包まれていました」
こうした長岡空襲の経験を後世に伝える語り部の高齢化は進んでいますが、ことしで40回を迎えた灯籠流しは、地元の青年会議所が運営。司会を地元の中学校の生徒が務めるなど、平和を願う気持ちは世代を超えて引き継がれています。
【希望が丘小学校の児童】
「心は一つになれるさ♪平和の鐘は君の胸に響くよ」
8月1日はそんな平和への願いを込めたいくつもの灯籠が、柿川を流れていきました。
【参加者】
「初めて(灯籠を)流したので、これを機に、改めて世界平和などの思いを常に持って、日々過ごしていきたい」
Q.灯籠には何と書いた
「みんなニコニコ過ごせますように」
「いまウクライナ戦争でも多くの方が亡くなっているので、ニ度とああいうこと(戦争)が起こらないといいと思います」
そして空襲の始まった午後10時半には、慰霊の花火・白菊が打ち上げられ、犠牲者の冥福を祈りました。最終更新日:Wed, 02 Aug 2023 18:33:17 +0900