“戦時中の新潟”を学ぶツアー「新潟港が重要な拠点に」 戦争の悲惨さ・平和への思い次世代へ

戦争は新潟県内でも多くの犠牲者を出しました。当時の様子を語り継ぎ、平和について考えてもらおうと、新潟市内では戦争の歴史を学ぶツアーが行われました。
戦争は新潟県内でも多くの犠牲者を出しました。当時の様子を語り継ぎ、平和について考えてもらおうと、新潟市内では戦争の歴史を学ぶツアーが行われました。

8月10日、新潟市の歴史博物館に集まった人たち。

【新潟シティガイド】
「満州まで一番近いのが新潟だったんです」

行われたのは、新潟の戦争の記憶をたどるツアーです。

これは戦争の悲惨さや平和への思いを次世代へつなごうと市が毎年企画しているもので、今年は県内・県外から10人が参加しました。

ツアーで学芸員が語ったのは、戦争における新潟港の重要性です。

【新潟市歴史博物館みなとぴあ 森行人 学芸員】
「新潟港は戦争末期、本土決戦に向けて、満州や朝鮮半島から食料などの物資を輸入する重要な拠点となってくる」

博物館には、戦争への協力を呼びかける市の広報物や当時の生活用品なども残されています。

【参加者】
「(当時の状況が)よく分かる。戦争はそんなに昔じゃなかったんだなと思う」

戦争で大きな役割を担っていたことから新潟は標的ともなり、落とされた機雷に船が接触するなどして多くの犠牲者が出ました。

【新潟シティガイド】
「一番被害が大きかったのが“鉄工丸”。蒲原祭りだった日なんですよ。だから5時くらい」

街では戦争の歴史を地元のボランティアが伝えます。

【新潟シティガイド 渡辺博さん】
「新潟の歴史ということ、新潟にも戦争があったんだということを覚えていっていただきたい」

ツアーの最後、一行が参加したのは戦争の犠牲者を悼む平和祈念碑への献花式です。

ツアーが行われた8月10日は、78年前に新潟港を中心とした空襲で47人が犠牲となった日で、市は毎年献花式を行っています。

【新潟市 中原八一 市長】
「これからも戦災の歴史を後世に伝え、平和を守るため、たゆまず努力を続けていかなければなりません」

新潟の戦争の歴史を学んだ参加者が花を手向けて思うこととは…

【参加者】
「戦争というのは本当に日本全国であったんだなと改めて知った。もう二度と、絶対にやったらいけないということを強く感じた」

【参加者】
「今、世界が色々揺れ動いているから、もう一度、私たちでできることからしたいと思っている」最終更新日:Tue, 15 Aug 2023 18:58:55 +0900