1月13日は成人の日です。新潟県内では今年度、1万8800人が二十歳を迎えました。新潟市では12日、『二十歳のつどい』が開かれ、会場では友人との再会を喜ぶ人の姿が見られました。一方、去年発生した能登半島地震は20歳を迎えた若者たちに防災意識の変化をもたらしています。
■“二十歳”迎え…家族への感謝も「育ててくれてありがとう」
艶やかな振袖や真新しいスーツを身にまとい、晴れやかな表情の若者たち。
12日、新潟市で開かれたのは『二十歳のつどい』です。
今年度は前の年より110人少ない7159人が20歳を迎え、会場には約4200人が集まりました。
【二十歳の主張 江守舞さん】
「今までたくさんの人に支えられてきたからこそ、今度は私が一人でも多くの人を支えたい」
人生の節目を迎え、参加者の多くが口にしたのは家族への感謝の言葉。
【参加者】
「色々迷惑をかけることもあったが、ここまで育ててくれてありがとうという気持ち」
【参加者】
「兄弟が多く、(自分は)4人目の最後。ここまで育ててくれたので、感謝を何か形にして返せたら」
家族に支えられてハレの日を迎えた若者たちは夢や希望に満ちていました。
【参加者】
「一人でも多くの人の笑顔をつくれる看護師になりたい」
【参加者】
「今、大学で中学校の理科の先生になることを目指しているので、このまま先生になれたら」
【参加者】
「社会人としての責任が求められるので、しっかり自立していきたい」
将来の目標を胸に大人の階段を上った参加者たち。
■20年前はどんな年だった?
そんな参加者の多くが生まれた20年前をのぞいてみると、郵政解散など当時の小泉純一郎首相による“小泉劇場”で政界が慌ただしさを増した2005年。
行政の効率化や財政基盤の強化を目的とする市町村同士の合併、いわゆる“平成の大合併”がこの年、ピークを迎えました。
そして、地球温暖化対策など環境に対する意識が高まったのもこの年。環境大臣だった小池都知事が打ち出した“クールビズ”が始まりました。
ただ、守ろうとしている自然が牙を向く出来事も。
12月には突風により乗客5人が亡くなる羽越線の脱線事故が発生。さらに大雪や強風による送電線のショートなどが原因となった新潟大停電も起きました。
一方、この年、8月の長岡花火で初めて打ち上げられたのが前年に発生した中越地震からの復興を祈願する花火フェニックス。多くの被災者が復興への前向きな気持ちを抱くきっかけとなりました。
■能登半島地震から1年…備えの大切さを実感
そして、今年は1年前に発生した能登半島地震からの復興を目指す始まりの年でもあります。
【参加者】
「僕の住んでいるところは幸い大丈夫だったが、友達の家が傾いていた。あのときは、自分まで苦しい思いになっていた」
参加者の心にも深く刻まれた元日の揺れ。
【参加者】
「地震が起きたときの避難場所を家族で再確認して、いざ来たときに備えるようにしている」
【参加者】
「教員を目指していて、避難訓練を子どもたちに教えていかなければいけない立場にこれからなるので、教員同士で訓練のときどうするべきかというシステムなどを学んだりして、子どもたちにも教えていけるような、そんな先生になりたいと強く思う」
災害への備えの大切さを実感した若者たちが、その思いを持ち続けながら社会で活躍してくれることに期待です。
最終更新日:Mon, 13 Jan 2025 18:49:11 +0900