
東日本大震災から14年という歳月が流れる中、新潟で生きることを決めた人へ思いを聞きました。
「ケーキは今18種類。(一日に作る数は)普通のときで200ぐらい。忙しいともっと増える」
新潟市西区の洋菓子店『ル・タン・メルヴェイユ』。代表の佐藤徹夫さんは14年前まで福島県浪江町に店を構えていました。
原発事故をきっかけに、オープンから6年目の大切な店を手放さなくてはならなくなった14年前。
【佐藤徹夫さん】
「もうほとんど着の身着のまま。ほとんど置いてきた。持ってきたのは貴重品だけ」
原発事故後、新潟に避難。一時は洋菓子の世界から離れざるを得ない状況になりながらも、地震の3年後、新潟市に自身の店をオープンさせました。
【佐藤徹夫さん】
「まさか、自分の店を2回オープンさせるとは思っていなかった」
それから10年と8カ月、お客が絶えず訪れる人気店となっています。
【佐藤徹夫さん】
「ほとんど手探り状態で始めたので、うまくやっていけるのかどうか色々不安はあったが、周りの人に支えられて何とかやってきた。今思うと本当にあっという間」
オープン当時1歳だった長男の蓮輔くんは小学6年生に。4歳の妹・紬ちゃんのお兄さんです。
【佐藤徹夫さん】
「それもあっという間。気付いたら、もう4月から中学生なんだという感じ」
2児の父である佐藤さんが地域の子どもたちを強く思う出来事がありました。去年の能登半島地震です。
自身も避難時に周りの人たちに支えられたという思いから、液状化被害のあった地域の子どもたちにケーキをプレゼントしたのです。
【佐藤徹夫さん】
「ひとつ経験した人から言わせてもらうと、そういうことを経験すると、この先、生きていても大抵のことは楽しく感じる。マイナスなことばかりじゃないよというのを伝えたくて」
人生が大きく変わったあの日から14年。佐藤さんは「前だけを見ている」と言い切ります。
【佐藤撤平さん】
「(店を)大きくしたいとかそういうのはない。普通に生活できればそれでいい」
【松村道子キャスター】
「3月11日は一度、普通を奪われてしまったことを思い出す日でもある?」
【佐藤撤平さん】
「確かに日常生活がなくなった日ではあるが、逆に言えば新たなチャンスが生まれた日でもある。もう前向きに捉えて頑張るだけ」