“ふるさとへ帰るかどうか”いまだ葛藤…震災から14年 徐々に避難者減るも「交流の場つくり続けたい」新潟

東日本大震災から14年という歳月が流れる中、ふるさとへ帰るかどうか、いまだ葛藤の中にいる人へ思いを聞きました。

東日本大震災から14年という歳月が流れる中、ふるさとへ帰るかどうか、いまだ葛藤の中にいる人へ思いを聞きました。

新潟市西区の避難者交流施設で行われていたのは、パッチワーク教室。福島や宮城からの避難者のほか地元の住民が集まり、笑い声が響いていました。

教室を主催したのは、福島県南相馬市から新潟市に避難する後藤素子さんです。

【後藤素子さん】
「集うということが、ここでのコミュニティーをつくることでもあるし、防災のためにもやっている」

教室の参加者の一人、高島詠子さんは郡山市から新潟市に避難してきました。

【高島詠子さん】
「できるかどうかいつもドキドキするが、一個ずつ、つなげていくとちゃんとできる」

震災前からパステルアート作家として活動する高島さんは、避難後もアートを通し、同じく福島から避難してきた人などとのつながりを築いてきました。

特に福島市から避難した作家の角田郁子さんとは、10年前から毎年、この時期に2人で作品展を開催し、支えあいながら絆を強めてきました。

しかし、震災から13年が過ぎた去年、角田さんは子どもが親元を離れたことから福島に戻ることを決断。今年は恒例の2人の作品展もありません。

【高島詠子さん】
「(作品展に向け)お正月明けから走り続けてというのがいつもだった。10年間、二人展をやってきたが、もうないのかと思ったら寂しさはあった」

このまま新潟に残るのか、福島に戻るのか、まだ決断はできていないという高島さん。

周りの環境が変わる中、不安もありますが、今も没頭できるアートと新潟で築いた人の輪が大きな支えとなり、前を向けていると話します。

【高島詠子さん】
「こういう場がずっとあるといいなとは思っている。1月1日も新たな年の節目だが、この3月11日は私たちにとって新たに踏み出す日になっている気がする。新たな気持ちで過ごしていけたらいい」

イベントを定期的に開く後藤さんは、徐々に避難生活を送る人が減る中でも、交流の場をつくり続けたいと考えています。

【後藤素子さん】
「交流することで情報も得ることができるし、人とのつながりがすごく大事。避難者だけではなくて、新潟の方々も一緒に交流できる場所が本当に今必要とされている」

震災から14年。今も避難者は支えあいながら、その歩みを進めています。

最終更新日:Tue, 11 Mar 2025 18:45:58 +0900