

2000年に日本初のプロバスケットボールチームとして誕生した「新潟アルビレックスBB」。18年~19年にはトップリーグのB1で中地区優勝を果たしたが、21年にはクラブ内でパワーハラスメント問題が発覚、リーグから規約違反としての制裁を受ける。22年にはフロントとの確執により、シーズン途中でヘッドコーチが退任。決算では実質債務超過状態に陥った。
こうした状況のなか、戦績も振るわなくなり、22年~23年シーズンにB2に降格。23年~24年シーズンは7勝53敗でB2最下位となり、B3降格が決定。2季連続で降格し、B1からB3へと戦う舞台を一気に落した。

どん底まで落ちたチームを立て直すためオファーを受けたのが、新潟出身で元日本代表の五十嵐圭選手(45)。中地区優勝時の立役者でもあり、4季ぶりにアルビBBに戻ってきた。
入団会見ではB3に落ちたチームを「落ちるところまで落ちた」と表現。移籍前のB1「群馬クレインサンダーズ」で出場機会が減っていた五十嵐選手としては、自身の選手としての再起も図る。また、プレーヤーとしてのみならず、営業活動にも取り組み、チームの再起を目指す。
しかし、決意とは裏腹に思うようにいかない現実に直面する。“負け慣れ”していた選手やスタッフの意識改革に課題を感じながらも、チームの目標であるB2復帰に向けて奮闘する五十嵐選手を中心に、再起へ向けて歩み出したアルビBBに密着した。
最終更新日:Wed, 28 May 2025 14:39:41 +0900