長嶋茂雄さん死去…新潟県内からも悼む声「昭和の大スター」「昭和時代が終わった」 新潟訪れ子どもたちに野球教える姿も

プロ野球・読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が6月3日朝、肺炎のため亡くなりました。新潟県内からも野球界を牽引し続けたヒーローとの別れを惜しむ声が聞かれました。

プロ野球・読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が6月3日朝、肺炎のため亡くなりました。新潟県内からも野球界を牽引し続けたヒーローとの別れを惜しむ声が聞かれました。

■長嶋茂雄さん死去 県内からも悼む声

長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。

巨人の終身名誉監督である長嶋さんは、2004年に脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残りましたが、その後、賢明なリハビリや療養を続け、たびたび球場に登場し、ファンを沸かせていました。

突然の訃報に県内からも惜しむ声が聞かれました。

【街の人】
「私たちの若いころのヒーローの一人。非常にびっくりしているが、亡くなった瞬間に若いときのことを色々と思い出す。長嶋さん・王さんで日本の野球を牽引してきた時代があるから」

【街の人】
「昭和の大スターがついに亡くなられて、残念な気持ちと時代は流れていくのかなというところ。もっている人、いわゆる今で言う大谷選手のような方で、ハッスルしたプレーがすごかったなという印象」

【街の人】
「興味がなくても、あれだけ色々とテレビとかに出て活躍されていた方なので、昭和時代が終わったという感じがする」

■野球教室やゴルフ大会 たびたび新潟を訪れていた長嶋さん

立教大学を卒業後、巨人に入団した長嶋さん。

昭和34年の天覧試合伝統の巨人・阪神戦では劇的なサヨナラホームランを放ち、国民的ヒーローが誕生します。

昭和という時代を鮮やかに彩った背番号3。

王貞治さんとともに巨人の黄金時代を築き上げ、MVP5回、首位打者6回、ホームラン王2回。通算打率は3割5厘、ホームラン444本を放ち、引退セレモニーでの言葉は伝説となりました。

【長嶋茂雄さん】
「きょう引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」

県内もたびたび訪れていた長嶋さん。新発田市では、少年野球教室で子どもたちに惜しげもなくその技術伝えていました。

【長嶋茂雄さん】
「良いスイングというのものは、自分の心がけ次第でどんどん上手くなっていく。上からダウンスイングではなく、普通ならば水平に…このくらいまで腰を回さないとダメ」

またあるときは、チャリティーゴルフ大会にも参加。

【長嶋茂雄さん】
「グッドショット。良い球。あそこが正解だね」

参加者にも気さくに声をかける姿が印象的でした。

引退後には監督として巨人を率い、平成6年、念願だった日本一を手にします。

日本スポーツ界を明るく照らし続けたミスタープロ野球。選手としても監督としても野球の魅力を前進で伝え世代を超えて愛されました。

その野球への情熱は消えることなく、多くの人の心に息づいていきます。

【街の人】
「長嶋監督を超えるような選手がいっぱい出てきてくれればなと思う。大谷選手があれだけ頑張っているから、日本のプロ野球ももっとバーンと頑張ってほしい」

長嶋さんの葬儀は近親者のみで執り行われ、後日お別れの会が開かれる予定です。

最終更新日:Tue, 03 Jun 2025 18:50:25 +0900