長岡空襲から80年…「かばい合うようにして亡くなっていた」多くの人が命落とした柿川で灯籠流し 空襲開始時刻には慰霊の花火・白菊も 新潟

8月1日、長岡空襲から80年の節目を迎えた新潟県長岡市。柿川では慰霊と平和への願いを込めた灯籠流しが行われました。
NST新潟総合テレビ

8月1日、長岡空襲から80年の節目を迎えた新潟県長岡市。柿川では慰霊と平和への願いを込めた灯籠流しが行われました。

終戦間際の1945年8月1日。

長岡市を襲った空襲では、焼夷弾から逃れようと多くの人が柿川に飛び込み、迫り来る炎によって命を落としました。

【生後4日で空襲を経験 遠藤好子さん】
「全員が折り重なって、かばい合うようにして亡くなっていたそうです。兄はそれを見て地獄だと思ったそうです」

戦争を経験した世代が少なくなる中、過去の記憶をつないでいく…空襲から80年の節目を迎えた今年も慰霊と平和への願いを込めた灯籠が市民の手で柿川へと流されていきました。

【長岡市民】
「平和が一番だなと思って。娘にそれが少しでも分かるかな、伝わるかなと思って」

【子ども】
「(世界から)けんかも、口が悪いのもなくなってほしい」

そして、長岡空襲が始まった午後10時半には、慰霊の花火・白菊が夜空へ。

【白菊を見た人】
「3発だけというのが少しはかない感じがして。改めてそういう(鎮魂の)意味が込められていると思うと感慨深い」

長岡市は平和を願う静かな祈りに包まれました。

最終更新日:Mon, 04 Aug 2025 22:00:00 +0900