太平洋戦争末期 犠牲者47人の新潟市の空襲から10日で80年 15人犠牲の初代おけさ丸、佐渡市で慰霊と平和を願う

終戦直前の1945年8月10日、47人が犠牲になった米軍機による新潟市の空襲。

終戦直前の1945年8月10日、47人が犠牲になった米軍機による新潟市の空襲。
47人の犠牲者のうち15人は、当時新潟港に入港したばかりの佐渡汽船の初代おけさ丸の乗客や船員でした。

佐渡市では市民が参加して毎年8月10日に犠牲者への追悼と平和の願いを込めた催しを開いています。今年は日中に開催し参加したおよそ60人は幸せを願う黄色いハンカチを振り今のおけさ丸の乗客・船員を見送り、乗客もデッキからハンカチを振り島を離れました。

【参加した人は・・・】「おけさ丸襲撃という事件があったのを知って、こういったことが今後起こってほしくないなと心から思っているし、世界が平和になってほしいなという気持ちで黄色いハンカチを振った」

終戦から80年あらためて戦争のない平和な世界となるように強く願っていました。

最終更新日:Sun, 10 Aug 2025 18:41:12 +0900