
太平洋戦争中に旧村松町にあった「陸軍少年通信兵学校」で学び、戦死した卒業生を悼む慰霊祭が、五泉市で行われました。
太平洋戦争中の1943年に開設され、全国から志願した若者が暗号の解読などを学んだ「村松陸軍少年通信兵学校」。
ここで学んだ多くの少年兵が戦地に送られ、812人が命を落としました。
学校があった五泉市村松地区では、13日、遺族など約50人が参加して慰霊祭が行われました。
【遺族 西川あや子さん】
「今では考えられないが、みんなが国のためと思ったのだと思うし、教育がそうだったということは悲惨な本当につらいこと」
村松公園にある慰霊碑には今年に入り、812人の名前が刻まれました。
【慰霊碑を守る会 浅田光雄会長】
「この平和を大切にしていくということが大事なのだと改めて感じさせられる」
慰霊碑を守る会の浅田会長は、活動を後世につなげるために理解を広げていきたいと話しています。
最終更新日:Tue, 14 Oct 2025 12:26:04 +0900