中越地震から21年…集落に残った人・離れた人をつないできた“交流拠点”解体「器はなくなっても築いた絆がある」新潟

中越地震で大きな被害を出した新潟県小千谷市塩谷集落。その復興の過程で集落に残った人、集落を離れた人、そして集落を支えた人たちの交流拠点となっていた芒種庵が解体されました。約20年にわたって新たな絆を紡いできた集落の施設がその歴史に幕を下ろしました。

中越地震で大きな被害を出した新潟県小千谷市塩谷集落。その復興の過程で集落に残った人、集落を離れた人、そして集落を支えた人たちの交流拠点となっていた芒種庵が解体されました。約20年にわたって新たな絆を紡いできた集落の施設がその歴史に幕を下ろしました。

■集落に残った人・離れた人などをつないできた“芒種庵”

【芒種庵を創る会 会長 星野賢治さん】
「ずっと続いていけばいいけど、自分がいつまで続くか分からないし。ここがあれば、ボランティアの人たちも村の人たちもうちらも集まって、ご飯を食べたり、お話したりするので大事な場所だけど…まぁ、やろうと。いつかやらなければいけないんだから。自分が動けるうちに」

扉や窓が取り外され、物が運び出された建物の前でこう語るのは星野賢治さん。

「いつかやらなければ…」それは小千谷市塩谷集落にある『芒種庵』の解体です。

【星野賢治さん】
「ここは誰でも入っていいという、会員じゃなくても気軽に来てもらいたい場所」

中越地震後に集落を離れた人や復興を支えたボランティアなどが気軽に立ち寄れるようにと、地震から2年後に全壊判定を受けた古民家を修復したのが芒種庵。

「種をまく時期」を表す芒種には、復興そして新たな絆が生まれるようにという願いが込められています。

【星野賢治さん】
「一生ここに住んでいるつもりだった」

しかし、中越地震で多くの住宅が被災。建物の下敷きになり、児童3人が犠牲になった塩谷集落からは地震後、多くの住民が離れました。

星野賢治さんもその1人。

【星野賢治さん】
「村に残っている人が顔を出して、山菜や野菜をもらったり。本当にありがたいと思っている」

【芒種庵を創る会 関芳之さん】
「これがなかったら、みんなでお茶をしたり、雑談できる場所がない」

さらに、集落を離れた人だけでなく、県外からのボランティアも多く集まるように…

【関芳之さん】
「限界集落になっているから。若い人から入ってもらったり、外部の人から入ってもらって終わらせたくないという思いがある」

毎年行ってきたコメ作りにも、ボランティアをきっかけに集落とかかわりを持った県外の学生などが参加。新たな絆を紡いでいました。しかし…

【星野賢治さん】
「今年が最後の稲刈りになるかもしれませんけど、ありがとうございました」

■芒種庵解体も「20年築いた絆というものがある」

20年あまりにわたってその歴史を刻む中で、芒種庵に集まる人は年々減少。芒種庵を管理する会は会員の高齢化などもあり去年、芒種庵を解体する方針を決定したのです。

中越地震から21年を迎えた10月23日。

【星野賢治さん】
「子育て世帯の人たちを招いて、ジャガイモを収穫して子どもたちに掘らせた」

星野さんは1週間後に芒種庵の解体を控える中、芒種庵との最後の時間を過ごしていました。

【星野賢治さん】
「(活動の記録を振り返って)やっているときは楽しかった。みんなやる気はあったし、私たちも20年前で若かったから」

そして、11月1日…いよいよ迎えた解体のとき。

【星野賢治さん】
「(Q.芒種庵に何か一言かけるとしたら?)ご苦労さまでした。きのう、お神酒をかけて壊すということを報告した」

重機が入ると、多くの絆を紡いだ芒種庵は一瞬で崩れてしまいました。それでも…

【関芳之さん】
「会は別の方法で残していこうという話はある。芒種庵という器はなくなっても、俺たちが築いた絆というものがあるから。せっかく20年も付き合ってきた仲間がこれで終わりじゃ寂しいから」

芒種庵はなくなっても、住民はこれまでの活動を本にまとめるなど、新たな形でその絆をつないでいく考えです。

最終更新日:Tue, 04 Nov 2025 22:00:00 +0900