「エラール」に込められた人々の思い
11月23日、新潟県三条市の複合施設「まちやま」のホールに響いていたのは、デュラン作曲の「ワルツ第1番」だ。
演奏されたコンサートは、「エラールピアノコンサート~93年前のバトン今日たしかに」。
エラールという一台のピアノのために開かれたコンサート。
このピアノには、地元の若者たちに一流の音楽を聴かせたいと願った昭和の人々の熱い思いが込められていた。
眠っていた最高級ピアノ修復へ
迎賓館赤坂離宮にも所蔵され、国内では4台しか存在していないと言われている最高級のグランドピアノ「エラール」。
そのうちの1台は、1930年(昭和5年)に製造され、県立三条東高校の前身、三条高等女学校の創立20周年を祝い、同窓会から贈られたものだった。
しかし、高額な維持費がネックとなり、学校教育で使われる機会は減少。
鍵盤は沈み、弦もさび付いてしまい、音を奏でることができなくなったエラールは、校舎の片隅に長く眠っていた。
一方で、エラール社はすでに廃業しており、その最高級モデルは“幻のピアノ”とも評されている。
三条東高校のエラールについては、処分する案が持ち上がったこともあったが、貴重な一台であることから、その所有権を学校から同窓会に移し、修復の道をたどることになったのだ。
「みんなを笑顔に」県立高校に寄贈されたエラール
なぜ、このような貴重なピアノが県立高校に存在したのか?取材を進めると、このエラールが多くの人の思いに溢れたピアノであることが分かってきた。
1932年、最高級のエラールを女学校に調達したのは、三条市で楽器店を営んでいた大井長一さん(享年78)だ。
大井さんの孫・山崎満美子さんが、今は亡き祖父の思いを代弁してくれた。
「エラールは中古で祖父が見つけてきたもの。値段は予算オーバーだったようだが、何とかこのピアノを女学校に…と、自分で話をつなげたと聞いた」
女学校の創立20周年を祝うための寄贈。
1982年発行の地元紙は、エラールの購入額は4500万円ほどだったと伝えている。卒業生からお金を集め、なんとか手に入れた一台だった。
山崎さんは祖父の思いを想像する。
「女学校に、こんなにすごいピアノを入れたんだ、みんなを驚かせて、みんなを笑顔にさせるんだと、自分としても誇りを持って入れたのではないかと思う。おじいちゃんはやっぱりすごかったなと思う」
当時はエラール中心に演奏会も
地域や卒業生の思いが込められたエラールは、三条高等女学校に収められた後、“学校の華”として美しい音を奏で続けた。
三条市のクラシック音楽愛好家・石田文夫さんが東京の神保町で入手したというパンフレットは、1940年代、エラールを中心にプロの演奏家を招いた音楽会が女学校で毎年開かれていたことを伝えている。
石田さんは3枚のパンフレットを手に、“当時の人々にとっての音楽”について思いを巡らせた。
「今はどんな曲でもすぐに聴ける時代になったが、昔はレコード1枚を手に入れるのも大変だったと思う。だからこそ、演奏会の一時にかける思いというのが、今とは全然違うのではないか。ものすごく熱いものを感じる」
三条高等女学校を1962年に卒業した五十嵐八代栄さんは、1960年のエラールの写真を持っていた。ソプラノ歌手を招いた音楽会が学校で開かれたことを覚えているという。
修復に向かうエラールと対峙した五十嵐さんは「私たちと同じで年取ったねと、同級生の人たちとエラールに触った」とほほえんだ。
ものづくりの町がエラール修復を後押し
昭和の人々の音楽に対する情熱が宿るエラールを修復させようと奮起したのは、三条市と燕市という全国的にも有名な“ものづくりの町”の人たちだ。
燕三条エラール推進委員会が結成され、地元企業からの修復のための寄付を募った。
93年前、世界最高の職人が製造したピアノは、ものづくりの町の精神に十分すぎるほどマッチした。
推進委員会の理事長で、三条市出身の声楽家・永桶康子さんは、エラール修復への期待をこう語っていた。
「エラールは、ものづくりの職人が行間を読み取ってつくったピアノ。今まで聞いたことのないような鮮やかな音色がしてくるピアノなので、その音色がまた聞けるかな…というのがとても楽しみ」
こうして2021年5月、エラールは卒業生や地域の人に大々的に見送られ旅立った。
100年ほど前の木材からなる鍵盤 当時のまま使用
修復は、群馬・埼玉・東京・京都で行われた。
ボディと部品をバラバラにすることから始まり、弦はすべて張り直しに。ハンマーのフェルトも新調された。
一方で、驚くべきは鍵盤の品質の高さだ。
100年ほど前の良質な木材からなる鍵盤は今も一切の狂いがなく、全て当時のままだという。
輝き取り戻したエラール お披露目へ
2年半の修復期間を経て、コンサート前夜に三条市の「まちやま」に収められたエラール。沈んでいた鍵盤は美しく整い、さびた弦は光輝いている。
校舎の片隅で眠っていたエラールは、製造された93年前の姿を取り戻した。
燕三条エラール推進委員会の永桶理事長は、市民へのお披露目を前に胸を高鳴らせていた。
「エラールの復活は言葉では表せない喜びがある。いよいよあす、一般の方たちに聞いていただけるという感動がすでに私の心の中に芽生えている。素晴らしい音楽を届けられる予感がしている」
「涙が出た」卒業生の前でエラール復活
そして、迎えた2023年11月23日、エラールの復活コンサート。
93年前に誕生した最高級ピアノの響きは、ピアニスト・三好優美子さんの演奏で市民の耳に届けられた。
デュランの「ワルツ第1番」、次いで、ベートーベン作曲「ピアノソナタ第23番《熱情》」。エラールは、一台にオーケストラが凝縮されたようなピアノだと言われている。
永桶理事長は「低い音はコントラバスの塊のよう。高い音はキラキラ輝く金平糖のような…小鳥がさえずるような、素晴らしい音色を持ち合わせたピアノになって帰ってきた」と、エラールの音色を解説した。
このコンサートには、三条高等女学校の卒業生も多く訪れた。
90歳の高橋時子さんは、在校時、女学校の教師の指導を受けて、このエラールでピアノを習得し、授業の中で伴奏を担当していたという。
「エラールを見て涙が出た。女学校時代の思い出が深いピアノ」
エラールを調達した大井長一さんの孫・山崎さんの姿もあった。
鍵盤に触れた山崎さんは、「小公女がお嬢様になって帰ってきたよう」と、その修復した姿を表現。
そして、「みんなの絆で今のエラールがあるから、再生に携わったすべての人に感謝している。おじいちゃんが入れてくれたピアノがこれからの三条を栄えさせてくれたらいいと思う」と、エラールの復活に祖父への思いを重ねた。
エラールは一般開放へ「大切な友達のような存在に」
エラールは今後、「まちやま」に常設され、ピアニストを招いたコンサートで演奏されるだけではなく、一般にも開放される。
永桶理事長は、これからのエラールの展望を語った。
「コンサートと一般開放の両輪で活躍できたらいい。音楽というのは目に見えないし、残すこともできないが、心のよりどころになるもの。多くの人がエラールに関わって、もう1人、大切な友達ができたような、そんな存在になっていくといいなと思っている」
昭和から令和へ…。長い眠りから覚めたエラールは、これからを生きる人々の心に寄り添い続ける。