地震発生からまもなく3カ月を迎えるのを前に、この太鼓が被災した地区の住民に引き渡されました。
1月20日、SNSに投稿され多くの注目されたのが…
「鯨波海岸に漂着した和太鼓。白丸区と書かれています。おそらく能登からだと思われます。津波で流出したのかもしれません」
3月22日までに184万回以上表示されたこちらの太鼓は、能登半島地震で津波の被害があった石川県能登町白丸地区から流れ着いたものでした。
【太鼓を見つけた栃堀耕一さん】
「マジックで地名が書いてあったのがすぐ分かったので、その場ですぐに検索して、やはり能登の方から流れてきたものに間違いないと分かった」
白丸地区の住民から太鼓は修理せずに、そのまま保管してほしいと連絡を受けた栃堀耕一さん。
被災地支援のため、22日から能登町の風景が撮影された写真展を開き、そこに太鼓も展示していましたが…
「きのうお電話いただいて、きょう太鼓を取りにいらっしゃるということで。私、この太鼓を拾った栃堀と申します」
太鼓の保管を依頼していた白丸地区の住民が22日、引き取りに訪れました。
【白丸地区に住む岩前純悦さん】
「私らもここへ引き取りに来なければならないなと思いながら…なかなか私も(来られなくて)」
地震発生からまもなく3カ月が経とうとする中、太鼓と再会した住民の目には涙が浮かんでいました。
【白丸地区に住む岩前純悦さん】
「太鼓を見て涙が出てくるなと思いながら、しみじみと…」
大切に保管してきた太鼓がふるさとに戻ることになり、栃堀さんも感慨深げな様子。
【太鼓を見つけた栃堀耕一さん】
「こんなに早く取りに来られると思っていなかったのでびっくりしたが、それだけ皆さん太鼓のことを気にかけていたと思う。早く白丸の皆さんに見ていただきたい」
【白丸地区に住む岩前純悦さん】
「新潟・柏崎のほうに向かって『ありがとうございました』と言ってきたが、この人(太鼓)には『お帰りなさい』と言いたい」
栃堀さんは今後もボランティアや募金などを通じて被災者を支援していきたいと話します。
【太鼓を見つけた栃堀耕一さん】
「柏崎も大きい地震で被災をして、全国色んな方から助けられているので、そういった善意や支援を今度は能登の方に“恩送り”というか、恩返しじゃなくて“恩送り”。今度は善意を届ける番だと思っている」
太鼓は22日のうちに白丸地区の神社に運び込まれ、今後は復興の状況を見ながら、どのように展示するかを話し合って決めるということです。最終更新日:Fri, 22 Mar 2024 18:55:10 +0900