【バブル崩壊】“新潟ロシア村”廃墟の裏に地方銀行の破綻…“バブル崩壊”が飲み込んだ新潟の野望【NSTアーカイブ】

新潟県阿賀野市の山中に佇む不気味な廃墟。かつてロシア文化の交流拠点として賑わった「新潟ロシア村」は今、ガレキが積み重なり、教会の建物だけが当時の面影を残している。開園から一時は多くの観光客で賑わったこの場所が廃墟と化した引き金は、新潟中央銀行の突然の破綻だった。地域経済を揺るがせたこの金融危機の裏には、一人の銀行頭取の野心的なプロジェクトと、バブル経済崩壊の波が隠されていた。

廃墟と化した夢の跡 新潟ロシア村の現在

平成5年にオープンしたテーマパーク「新潟ロシア村」。立派な建築物が立ち並び、ロシア文化を紹介する展示を行うなど、日本海を挟んだロシアとの交流や観光促進への期待が高まった。開園後、一時は賑わいを見せたこの場所も、今では面影すら残っていない。その引き金となったのは、平成11年に起きた新潟中央銀行の破綻だった。

「ちょうど環日本海交流でロシアとの交流が本格化していった時代ですから、それなりに意義があったんだと思います」と当時を振り返るのは、銀行破綻当時に新潟県知事を務めていた平山郁夫さんだ(2019年のインタビューより)。

大森プロジェクトと銀行路線の急転換

新潟中央銀行は、新潟総合銀行が平成元年に普通銀行に転換して誕生。

当初は小口の融資を地道に進め、地域の産業振興にも貢献していた。しかし、普通銀行への転換と同じ年に創業家一族の大森竜太郎氏が頭取に就任すると、銀行の路線は大きく変わる。

新潟中央銀行 元頭取・大森氏

「人が右を向いている時には左を向け」という大森元頭取の座右の銘のもと、行内の反対の声を押し切り、新潟ロシア村をはじめとする「大森プロジェクト」と呼ばれるテーマパークやゴルフ場への大口融資に踏み切った。

山梨県「富士ガリバー王国」も大森プロジェクトの一つ

しかし、バブルが弾けると、こうした融資は次々と不良債権化。平成11年6月には自己資本比率が国内銀行の基準を下回り、金融監督庁が経営改善を求める早期是正措置を発動する事態となった。ここから一気に新潟中央銀行は破綻への道を進むことに。

新潟県知事の決断と銀行破綻の教訓

早期是正措置を受け、資本増強のため取引先や自治体などに対し200億円を目標に出資を求めた新潟中央銀行。その要請は県にもあったが、当時の平山知事は消極的な姿勢を貫いた。「本当の金がいくら必要なのかということと、私の経験では3倍はいるだろうということ。結局、どこかで集められなくなって破綻する」と平山さんは当時の判断を説明する。「税金をそこに投入して、それがパーになるということは、やはり一致した判断じゃなければいけないんです」

当時の新潟県知事・平山郁夫氏

結果的に県の出資という大きな支援を得られなかった新潟中央銀行は増資を断念。結果、破綻に至った。その後、不正融資で立件された大森元頭取は特別背任の疑いで逮捕され、実刑判決を受けることになる。

銀行の破綻で資金繰りが苦しくなった新潟ロシア村も、その後ほどなくして閉園。平山元知事は「地域経済が発展しない限り銀行は発展しない。銀行と取引先との間がある意味で親しくやってた銀行は、私は新潟中央銀行が1番」と評価する。

新潟中央銀行は新潟市の古町エリアにあった

やり方さえ違っていれば大きな利益を生んでいたかもしれない大森プロジェクト。惜しまれた銀行の破綻は、地域金融を取り巻く環境が厳しさを増す中、今なお教訓とすべき点を私たちに投げかけている。

(新潟ニュースNST編集部)