小学6年生が“版画”で残した新潟地震… 震災の恐ろしさ・乗り越える力を表現「この日を忘れないでしょう…」【新潟市 南万代小学校】

1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震。津波や火災、建物の倒壊など大規模な被害をもたらし、26人の命が奪われた。その惨状を、当時小学6年だった子どもたちが「版画」で記録していた。そこには映像や写真とは違った迫力が映し出されていた。

卒業記念に制作された“版画”

新潟市立南万代小学校。版画は金庫に保管されていた。

南万代小学校 平山誠 校長:
2022年の総合学習に来てくれた防災士から「これは大変貴重な資料なので、きちんと金庫に保管するように」という指摘を受けた

金庫で保管されている版画

 

それまで校長室などに置かれていた版画だが、防災士の指摘を機に、資料としての重要性が見直された。

1964年当時、南万代小学校に在籍していた6年2組の児童46人が卒業記念に制作した版画。

版画にはそれぞれ文章も添えられていて、当時の子どもたちが見たこと・感じたことが、まっすぐに伝わってくる。

当時の児童が残した新潟地震の惨状

作品名「昭和大橋」より:
やっと完成し、開通式をおえたばかりの昭和大橋。6月16日の大地震で4つにへしおれてしまった。このむざんなおれかたは、地震のおそろしさをよくあらわしていると思う。地震は、現在でも予報することができない。これが予報できたら、昭和大橋もこんなむざんなこわれかたは、しなかっただろうと思う

作品名「昭和大橋」

作品名「ひなん」より:
大地がわれ 火がおそい 水がおそう。そんな町の中はにげる人であふれている。泣きさけびながら にげる子どもたち。オロオロしている大人たち。人々の顔には暗いかげがさしている。人々はにげる。安全なところへ一刻も早く

作品名「ひなん」

姿を変えた町、避難する人々…1964年の小学6年生が版画で残した新潟地震。

南万代小学校は校舎が傾くほどの被害を受けたが、1200人あまりの児童は教師の誘導のもと、無事に避難することができた。

版画の中には、地震後の生活の様子を捉えているものもある。南万代小の平山校長は、子どもたちが水を運ぶ姿を切り取った作品を指さした。

水を運ぶ姿

南万代小学校 平山誠 校長:
自分たちが当たり前のように飲んでいた水を、自分たちで汲んで生活しないといけない大変さが表れている版画に感動している

南万代小学校 平山誠 校長

信濃川に近いという立地条件もあり、南万代小学校は日頃から積極的に「防災」を授業のテーマに取り入れている。

南万代小学校 平山誠 校長:
一番大切なことは、自分の命は自分で守るということ。何かあったときに、自分の頭で考えて正しい判断をして逃げるための学習を行っている

災害に備えること、そして、いざというとき自分で判断し、身を守ること。地震と向き合う姿勢は、新潟地震が発生し、半世紀以上が経っても何ら変わることはない。

南万代小は46枚の版画をデータ化していて、今後の防災学習でも生かしていく考えだ。

作品名「あのときの地震」より:
6月16日、私はきっとこの日を一生忘れないでしょう。流れ出るどろ水、ぽかっとあいた地面、こんなおそろしいものをあの時私はだれからでもなく見せつけられた

1964年の子どもたちから版画と文章で届けられたメッセージは、災害を正しく恐れ、乗り越える力を伝えている。