東京パラ銅メダリストの新たな挑戦
早朝に家を出た永田選手。選手自身も驚くほど、トライアスロンの練習は朝が早い。
村上市出身の永田務選手。2010年12月に、当時勤めていた工場でベルトコンベヤーに右腕を挟まれケガをして障害が残っている。
その永田選手が2023年3月から本格的に練習を開始したのがトライアスロンだ。
永田選手といえば、東京パラリンピックの腕に障害のあるクラス「T46」のマラソンで銅メダル獲得した人物。
次の目標を2024年のパリ・パラリンピックでの金メダルと定めていたはずだったが…
永田務 選手(2021年):
パリ大会で、今回(東京で)自分が参加したT46のクラスが除外になると言われた
それでもこの決定が伝わった直後の取材で永田選手が語っていたのは落胆ではなく、新たな挑戦への決意だった。
永田務 選手:
これがなくなったからといって、自分自身が変わっていくということはまずない。周りの人たちにも「あいつは終わらない」という、おもしろい姿を見せたい
そして、新たな目標に定めたのが、トライアスロンで2028年のロサンゼルス・パラリンピックに出場すること。
アクアシガータ 新井義之さん:
ここはもう少しゆっくり柔らかく泳いで、脈が上がらないように泳ぎましょう。泳いでリカバリーができるように
小学生のころから陸上一筋の永田選手にとって、スイムは未知の領域だ。
永田務 選手:
最初は力が入らなくて、腕も上がらないというような泳ぎ方をしていて、自分は障害を感じていたが、「肩甲骨で泳ぐ。背中の方で腕を回して」と聞いたときに、腕じゃないということを感じた。全然、障害は関係ない、これは言い訳にできないと今は感じている
今は新潟市にあるトライアスロンのクラブチーム練習に参加し、夢の実現を目指している。
アクアシガータ 新井義之さん:
「次のロサンゼルスを目指す」と言われているので、それに向けて、より効果の上がるトレーニングをしていただくようにアドバイスしていきたい。十分、本人の努力次第で、世界で戦える選手になっていくのではないか
東京パラの悔しさをロサンゼルスで…
一体なぜ、そこまでしてパラリンピックへの挑戦を続けるのか…その背景には東京で感じた悔しさがあった。
永田務 選手:
「銅メダルか…」みたいな。「金じゃないんだ」という言葉が、ちゃかしておもしろく言ってくれている言葉でさえも、自分は「ごめんね」と。突き刺さるというか「やっぱり金のほうが見たいよね」と
そして、永田選手の挑戦はこれだけにとどまらない。
永田務 選手:
自分の知っている周りの人、またその周りの人たちが、自分が東京パラに出るからということで見てくれる人たちもいた。これから、そういう人たちを増やしていくことが自分の使命だと思った
「オリンピックと同じようにパラリンピックにも関心を持ってほしい」と、講演会などを通じて自身の経験を伝え続けている永田選手。
だからこそ、さらに関心を持ってもらうためにもロサンゼルス・パラリンピックでは銅ではなく、その上の輝きを目指している。
永田務 選手:
銅メダルを取ったときの悔しさが一番の原動力。自分がどうしたいかと考えたときに、トライアスロンで金メダルを取りたい気持ち、自分を応援してくださる人たちが増えてきているというのが責任感になって、自分の力になっている