パン屋さんのなかった村…豪雨きっかけに週に1度のパン屋さんがオープン 被災した栽培施設のシイタケ使い人気店に【関川村】

2022年8月に新潟県北部を襲った豪雨から1年。被災地の一つ、関川村で豪雨の経験から育まれた優しいつながりを取材した。

シイタケ栽培施設も浸水被害に

関川村高田地区。

ここに暮らす須貝圭介さんが振り返るのは2022年、県北部を襲った豪雨について。

須貝圭介さん:
どんどん水位が上がってきて、逃げる方法がなく、家族全員で自宅の2階に避難した

須貝圭介さん

8月3日から降り続いた記録録的な大雨により、関川村でも土砂崩れや住宅の被害が相次ぎ、須貝さんの住宅も被害を受けた。

2022年8月(須貝さん撮影)

須貝圭介さん:
高田地区は1.5mほど浸水の被害があった。ただただ、呆然としていた

関川村でキノコを生産販売する会社の代表を務める須貝さん。主力の商品は肉厚なシイタケだ。

須貝圭介さん:
関川村の自然の恵みをふんだんに受けて、甘みのある肉厚のシイタケになる

シイタケをおいしくする一方で、その自然が2022年は牙をむいた。

高田地区で須貝さんの母・敏子さんがシイタケを栽培する施設は1.3mほど浸水。被害額は5000万円ほどに。

浸水被害を受けた栽培施設

敏子さんは「粒ぞろいのシイタケが泥まみれになって、これはシイタケ栽培のやめ時だと思った」と振り返る。

須貝さんの母・敏子さん

それでも水害から1年、復旧した栽培施設では関川の自然を旨みとして蓄えたシイタケが育っている。

須貝さんの母・敏子さん:
ボランティアに来てもらって、栽培施設をきれいにしてもらうと、今度は「やらなきゃいけない」という気持ちに急変した

須貝圭介さん:
みんなの力をお借りしてここまできた

須貝さんの母・敏子さん:
感謝を忘れないで進むつもりでいる

そんな関川産のシイタケをパンの材料に使う吉田美香さん。

吉田さんによると、関川村のシイタケは味が濃くて、うまみも強く、力強い味がするという。

吉田美香さん

吉田さんは東京でパティシエとして働いていたが、2021年、地域おこし協力隊として関川村に移住。明治時代に建てられた「東桂苑」で提供するスイーツを担当している。

吉田美香さん:
歴史的な建物の中で地元の食材をゆっくり楽しんでほしい

東桂苑で提供しているかき氷

夏は地元の食材にこだわったシロップを手作りしてかき氷を提供する吉田さん。本格的にパンを作るようになったのは、2022年の豪雨がきっかけだった。

吉田美香さん:
水害があったときに焼きたてのパンを被災者に届けたくて、勝手にパンを作って配った

パン作りは独学の吉田さんだが、被災した人などへ食に携わってきた自分ができる支援として、避難所などに焼き立てのパンを届けたのだ。

吉田美香さん:
被災直後で本当は余裕のない時期なのに、優しい笑顔で迎えてくれたのが印象深くて、ありがたかった

シイタケを使用したパン

実は、関川村にはパンの専門店がなかった。そこで吉田さんは支援のためにパンを作った経験を生かし、週に一度、村の食品加工施設を借りて、焼き立てパンの製造販売を始めることに。

 

販売を手伝うのは、吉田さんを応援する地域の人たち。

販売を手伝う人:
パン屋さんがなかったからありがたい。パン屋さんがあるのがうれしい

吉田さんが2023年3月から毎週金曜日にレトロな洋館・旧斎藤医院で開く「ぽっかりパン」は行列になるほどの人気だ。

訪れる客からは「関川村の食材を使っているところもいい」とか、「おいしいので、金曜日が待ち遠し」といった声が聞かれた。

豪雨の支援をきっかけに生まれた吉田さんのパンに使われるシイタケ。須貝さんに食べてもらうと…

須貝圭介さん:
うまみ成分がジュワッと口の中に広がってすごくおいしい。人は一人で生きていないんだなと、手を取り合いながら、支え合いながら生きているということを改めて深く強く感じた

夏の間は休止している「ぽっかりパン」だが、毎月最終金曜日に旧斎藤医院で開かれるランチ限定の「カフェぽっかりもち」には吉田さんのパンが使われる。

災害を乗り越え、自然の恵みを地域の魅力へ。

吉田さんは「関川村の食材をたくさん発信していきたいし、関川村の人にも喜んでもらえるパン店にしたい」と話す。

記録的な豪雨から一年、災害をバネに広がる笑顔が関川村にあった。