田中眞紀子氏の政界復帰の可能性は?「落選したら絶対出ない」政界引退の理由と選挙制度に持論も

元外務大臣の田中眞紀子氏と新潟県出身のジャーナリスト・風間晋氏との対談が3月中旬に東京都内で行われた。高市早苗総理大臣と当選同期の田中眞紀子氏だが、2012年の衆院選で敗れ、政界から引退した。対談の中で語ったのは、「落選したら絶対に出ない」と決めていた理由、そして今の政治への率直な思いだった。
NST新潟総合テレビ

元外務大臣の田中眞紀子氏と新潟県出身のジャーナリスト・風間晋氏との対談が3月中旬に東京都内で行われた。高市早苗総理大臣と当選同期の田中眞紀子氏だが、2012年の衆院選で敗れ、政界から引退した。対談の中で語ったのは、「落選したら絶対に出ない」と決めていた理由、そして今の政治への率直な思いだった。

■「異質な世界ではなかった」政界との距離感

田中眞紀子 氏

1993年に行われた衆院選・新潟3区(当時)で初当選を果たした田中眞紀子氏。

当選同期には、高市早苗総理大臣や野田聖子元総務大臣などがいる。幼いころから田中角栄元総理の姿を見ていた眞紀子氏が政治家になるのは必然だった。

風間氏が眞紀子氏に「政治家になった理由」を問うと、眞紀子氏は「国を良くしたいんですよ。国を良くしたい。それから、恵まれてない人たちをいっぱい見ているから、みんなお互いに1回しかない人生を良くしてあげたい。そのために私が何ができるか」と政治家を志した理由について語った。

幼少期から様々な大物政治家と面会していた眞紀子氏にとって、政治の世界は身近なもので「異質な世界ではなかった」という。

■「2代目の得があった」政治家・田中眞紀子氏の半生

田中角栄 元総理

角栄氏の人脈は眞紀子氏にも脈々と受け継がれていた。

当選してわずか1年で科学技術庁長官(第一次村山内閣)に就任した時の話について眞紀子氏は口を開いた。

「科学技術庁長官のとき、国会で野党の議員からガンガン質問された後、その先生がすーっと来て『大臣、大変だったな。俺、親父にすごく世話になったんだよ』と。別の資料をくれて『これ、勉強しといたほうがいいから』って。結構みんな良くしてくださった。2代目の得があったんです、すごく。だから国会議員生活は楽しかった」

国会が終わった後には、多くの同僚議員などに誘われて会食をして情報収集にも勤しんだという。その後、小泉政権で外務大臣を務め、民主党に入党後には文部科学大臣を歴任。衆院議員を6期務めた。

しかし、政権交代がなされる2012年の衆院選で眞紀子氏は自民党候補に敗れ、議席を失った。そして、政界から引退した。

「選挙で落とされたら絶対に出ないと決めていたから。落選というのは、有権者が『他の方が良かった』と判断したんだから。その判断を尊重する。1回負けても、次また出る人が多いが、私は出ないと決めていた」

■「筆記試験と立会演説会を」

田中眞紀子 氏

国会では、議員定数削減に向けて衆議院の選挙制度の在り方を検討する与野党の協議会が開かれているが、眞紀子氏は現在の選挙制度に異を唱える。

「選挙制度を変えて、議員の数も減らして。私、時々言うんだけど、筆記試験はどうですか。最低限の歴史とか外交の問題とか、基本的なことが分かっているか。あとは父の頃にやっていた立会演説会。候補者がみんな集まって、有権者が聞きに行く。質問を投げて、それに答えさせる。そうすると、意味が分かってない人もいるし、しどろもどろになる人もいる。それを見て、有権者が選べるじゃないですか」

さらに「語学試験などもやったらいいのでは」と提唱した。

田中眞紀子 氏

もう一度、政界復帰する可能性がないか尋ねると「年齢制限でダメ。50代だったら出るでしょうけどね」と笑って答えた眞紀子氏。

一方で、「今の状態でじっとしていたらいけない」とも語る。

政治家の娘として生まれ、政治の世界を見続けてきた眞紀子氏の言葉は、今の日本政治そのものに問いを突きつけている。

最終更新日:Sun, 19 Apr 2026 20:14:02 +0900