【長岡まつり花火物語】「正三尺玉」誕生から100年…長岡の夜空を彩り続けた花火の歴史と継承 長岡花火に込められた思い

1926年(大正15年)9月14日、重さ300キロの巨大な花火玉が長岡の夜空600メートルで炸裂し、直径650メートルの大輪を咲かせた。それが「正三尺玉」の誕生である。以来100年、この花火は戦争による中断や技術の断絶を乗り越え、長岡市民の誇りとして打ち上げられ続けてきた。今年、長岡市制施行120周年という節目の年に、その100年の歩みを振り返る。長岡花火に込められた思いとは…
長岡の夜の空に大輪を咲かせる正三尺玉

1926年(大正15年)9月14日、重さ300キロの巨大な花火玉が長岡の夜空600メートルで炸裂し、直径650メートルの大輪を咲かせた。それが「正三尺玉」の誕生である。以来100年、この花火は戦争による中断や技術の断絶を乗り越え、長岡市民の誇りとして打ち上げられ続けてきた。今年、長岡市制施行120周年という節目の年に、その100年の歩みを振り返る。長岡花火に込められた思いとは…

■「全国最初の試み」として誕生した正三尺玉

花火研究家の長谷川健一さん

「9時30分、いよいよ全国最初の試みたる正三尺玉は、全市を動かす大音響とともに打ち上げられ、空一面はほとんど花火に彩られ、観衆狂喜した」

1926年(大正15年)9月16日付の新潟時事新聞に記されたのは、まぎれもなく歴史的な瞬間だった。

花火が打ち上がる直前、長岡の市内全域にサイレンが鳴り響く。

市役所の屋上から鳴らされたサイレンは、「正三尺玉が上がりますよ」という合図だった。さらに煙火協会は電力会社を通じ、打ち上げ5分前に市内各家庭の電灯を1秒間消すよう手配。新聞でも市民に知らせたという。

花火鑑賞士の資格を持ち、著書『越後煙火史』をまとめた花火研究家の長谷川健一さんは振り返る。

「大正15年から始まってるんですね。全市に向けて、市役所の屋上のサイレンを全市に鳴らしたと。これは正三尺玉が上がりますよという合図にサイレンを鳴らしたんですね」

誰もが見逃さないように、街全体でその瞬間を共有する。100年前の人々の心意気は、今も変わらず受け継がれている。

長岡駅前大手口に設置されている正三尺玉の打ち上げ筒

越後は、古くから花火が盛んな土地だった。三尺玉は明治から大正にかけて片貝や新潟でも打ち上げられた記録があるが、長谷川さんは「片貝も新潟も、これは二尺五寸、直径の花火だったらしいんですよ」と話す。

その長岡が挑んだのは、誰も実現したことのない「正三尺玉」だった。

「長岡は、大正15年に正三尺玉を上げるわけですが、中川繁治さんは今までどなたもやってなかった、その正三尺玉っていうものに挑戦するわけですけれども、考え方自体が非常に剛毅と申しますか、気骨なる花火屋さんで、研究熱心でもあったと」

その打ち上げには、未だかつて使用したことのない新しい筒が必要だった。

このとき使われ、その後、約70年間にわたって正三尺玉を打ち上げ続けた筒は、2002年、長岡駅前大手口に産業遺産のモニュメントとして設置された。

空襲後の長岡(長岡戦災資料館 蔵)

1931年(昭和6年)、上越線全通を記念した博覧会では、期間中に合わせて17発が打ち上げられた。

しかし1937年、盧溝橋事件を機に戦争が深刻化すると、花火大会を取り巻く空気も変わっていく。

「(昭和)13年からは花火はやってられないんじゃないかなということがあって、逆の意味でかなり盛大な花火が上がったんですね」と長谷川さんは語る。

最後を惜しむように、大勢の観客が集まった1938年の花火大会。その後、長岡の花火は中止となった。

そして1945年8月1日、長岡市は空襲によって焦土と化す。

■戦争による中断と、焼け野原からの復活

左から駒形十吉、田村文吉、嘉瀬誠喜

空襲の翌年、1946年8月1日。

焼け野原から立ち上がろうとする人々の前に、10年ぶりに花火が戻ってきた。復興への機運を高めようと祭りを開催したのは、新潟県商工経済会中越支部長だった駒形十吉だ。

復興まつりを立ち上げた駒形の長女、千代子さんには鮮明な記憶がある。

「お父さんとね、田村さんとね、それから花火のあの、嘉瀬さんを呼んでね、いくらいくらかかるって、すごいもんですねなんて言って、田村さんは、だけどこれは、やっぱりあげたいですねなんて言って」

居間で車座になった3人の会話。それが、長岡花火復活の原点だった。

しかし、正三尺玉の復活には、さらに時間を要す。戦後復興5周年にあたる1950年(昭和25年)、柏崎の花火会社が打ち上げを計画したが、直前に悲惨な事故が起き、実現には至らなかった。

■「設計図も伝承もない」中での再現

正三尺玉 千輪菊(大坂屋書店 蔵)

翌1951年(昭和26年)、戦後シベリアに抑留されていた嘉瀬誠次さんが、父・誠喜とともに正三尺玉の復活に挑む。

きっかけは、信濃川の河川敷に横たわっていた1本の筒だった。

「鉄だから供出するためにさ、引っ張ってきたんだろうもん。そこへ放り出したまま終戦になったんじゃないか。それを俺、バイクで走っていったときに、見て、あ、三尺の筒があるな、懐かしいなと最初思った。そこに人がいたずら書きしてね、悲しそうな顔して描いてあったんよ」

バイクで通るたび、その筒が目に入る。やがて「よし、これを使って復活させよう」と心が動いた。

長岡市から依頼が届いたが、その条件は厳しいものだった。

「以前の花火屋さんはもう廃業してましたし、職人さんもいませんで、設計図もそれから伝承する、言葉で聞かせる人もありませんで、つまり創作と等しいですね」

試行錯誤の末、設計通りに作り上げた正三尺玉を打ち上げると、長生橋下流の右岸正面に、見事な千里菊が咲いた。

■84歳の花火師が打ち上げた「最後の一対」

長生橋のナイアガラ大瀑布(長岡市観光課 蔵)

嘉瀬誠次さんはその後も長岡花火を支え続け、1953年には全長850メートルの長生橋を生かした「ナイアガラ大瀑布」を成功させる。1990年には正三尺玉との同時打ち上げに挑戦し、それ以来この組み合わせは長岡花火の看板となった。

そして2006年。長岡市制施行100周年を記念した「世界の花火ショー」の夜が、嘉瀬誠次さん最後の正三尺玉となった。このとき84歳だった。

当時、長岡まつり協議会実行委員長を務めていた藤井芳さんは、当日まで秘密を共有していた一人だ。

「嘉瀬さんの花火の倉庫に行ったら、なんとあの大きな三尺玉が2個並んでるじゃないですか」

一発しか頼んでいないと伝えると、嘉瀬さんはこう言ったと明かす。

「何事も『対』ってのが大事なんだよ。一ってのはよくねえんだ。だから『対』が大事なんだから、二発俺は用意したと。二発目は嘉瀬煙火工業がちゃんと全部負担するからいいや」

サプライズで用意された2発目は、紅玉錦。拍手と歓声に包まれる中、観衆の誰もが予想しなかった大輪が夜空に咲いた。

嘉瀬さんはこう語っている。

「偉い方に物をあげるときってのは、同じ物を二つ一対として差し上げるんですね。大観衆の皆さんに、まあ粗末でございますけれども一対ご覧になってくださいと。こういう気持ちだけです」

2016年4月、長岡市は嘉瀬誠次さんに長岡市民大賞を贈った。

■100年を支えてきたスポンサーの思い

それぞれの時代のスポンサーが正三尺玉の100年を支えた

正三尺玉の100年を支えてきたのは、それぞれの時代のスポンサーだ。

1926年(大正15年)の誕生当初は、芸妓組合や料理店組合が支えた。1934年(昭和9年)には機那サフラン酒の社長・吉澤仁太郎氏がスポンサーとなり、戦後は長岡の有力企業が歴代受け継いできた。

現在、正三尺玉のスポンサーを務める企業の代表者たちは、そろって「誇り」という言葉を口にする。

越後交通の田中直紀会長は「66年以上は協賛してると思うんですよ。大体70年ぐらい、引き続き協賛して正三尺玉を打ち上げてるということです」と語る。

吉乃川の峰政祐己社長は、先代から受け継いだ言葉を胸に刻んでいる。

「私どもが三尺玉を上げるのをやめるときは、吉乃川が酒造りをやめるときだというふうに伺ってますので、我々もきちっとお酒を造りながらですね、三尺玉を上げ続けられるように頑張っていきたいと思っております」

アクシアルリテイリングの原和彦取締役社長CEOは、慰霊・復興祈願・世界平和の思いを込めた3連発を11年前から打ち上げ続けている。

「終戦70年の年に、ホノルルで慰霊の花火を上げさせていただきました。その年からこの3連発を上げさせていただいております」

■100年目の夏、ナイアガラとの共演が3年ぶりに復活

長岡花火伝承会会長の広瀬弘之さん

今年、長岡市は市制施行120周年。正三尺玉の誕生からちょうど100年の節目を迎える。

全長850メートルの長生橋は、工事期間中限定でレインボーカラーにライトアップされ、今年の長岡花火のポスターには、長生橋と正三尺玉が共演する写真が選ばれた。さらに、長生橋の歩道補修工事が完了したことから、ナイアガラ大瀑布と正三尺玉の同時打ち上げが3年ぶりに復活する。

長岡花火財団参与で長岡花火伝承会会長の広瀬弘之さんはこう話す。

「長岡人の宝であり、そして誇りでもあると思っております」

100年前、全市を揺るがした大音響。電灯が一瞬消え、サイレンが鳴り、人々が一斉に夜空を仰いだあの夜から。

正三尺玉は戦争と空襲を乗り越え、今も変わらず、長岡の夜空に大輪を咲かせ続けている。

(2026年7月25日放送 正三尺玉100年特別番組「長岡の夜空を彩り続けた一世紀」より)

最終更新日:Sat, 01 Aug 2026 19:00:00 +0900