

発達障害とともに生きながら、ピアノや絵で自身を表現する男性が新潟県三条市にいる。人とのコミュニケーションに難しさを感じてきた彼が、ある出会いをきっかけに変化を見せ、その日々には今、彩りが増している。
■数式が大好き スケッチブックが語る幼少期

新潟県三条市の石月誠人さん(33)。
知的障害はないものの、コミュニケーションに困難を伴う発達障害の一つ『アスペルガー症候群』と診断されている。

両親とともに暮らす誠人さん。
5歳のころに使っていたスケッチブックには、分数やかけ算などの数式が並ぶ。数字が大好きで、幼少期は電卓がおもちゃ代わりだった。
小学生の頃の知能検査では、算数など得意な分野がある一方、言葉の理解など苦手な分野もあり、点数にばらつきが確認できる。
■両親が言葉を詰まらせて語った葛藤

1歳半になっても発話がなく、心配した両親は誠人さんを大学病院に連れて行き、詳しい検査を受けた。
2歳半での診断名は『広汎性発達障害』。その後、5歳以降に知的レベルが上がり『高機能広汎性発達障害』と診断される。
母・純子さんは、「この子を障害のある子に産んでしまったという罪悪感があった。その後、療育施設で色々なことを訓練して少しずつできることが増えてきたが、この子は普通の子とは違うんだ、普通の子と同じことを望んではいけないと思っていた」と当時の心境を振り返る。
■鍵盤が光るキーボードで身に着けた絶対音感

当時の新潟では十分な訓練を受けられる環境がなかったこともあり、東京の療育施設に通っていた2歳半のころ、誠人さんが夢中になったのが音に合わせて鍵盤が光るキーボードだ。

商業施設の見本展示から離れず、買わなければ家に帰れない状況だったと両親は笑う。
「ここを押すとこの音が出る」と分かると、次第に絶対音感が身についた。
保育所で先生が弾いた旋律や駅のホームのチャイムをすぐさま再現。「ピアノを習ってはどうか」と周囲に勧められるようになった。
4歳で本格的にピアノを習い始めると、カナダで開かれた国際大会に出演するなど大きな舞台を経験した。
高齢者施設や保育所などから声がかかり演奏することもしばしばだ。
母・純子さんは「人から褒められるということが一番うれしかったのではないか。みんなに認められるとか、褒められるということが彼にとってのやりがいや目標になっていった」と、ピアノと歩んだ誠人さんの日々を語る。
■優しさあふれる日課のイラスト

誠人さんは平日、三条市の障害者施設『ピュアハウス』で内職の仕事に励んでいる。
ピュアハウスの管理者・木津明美さんが「本当に正確で作業スピードも速い。とても頼りにしている」と話すなど、その仕事ぶりは高く評価されている。

このピュアハウスで誠人さんの日課となっているのが、「その日が何の記念日なのか」をイラストにして表現し、施設のみんなに知らせることだ。
この日(4月22日)は、記念日の『清掃デー』をバケツとモップ、ゴミ袋で表現した。
誠人さんがこれまで描いた色鉛筆の優しいイラストはピュアハウスに掲示されている。
■黒が主役 車窓から見た景色を描いた作品

一方で、かつての誠人さんは、鉄塔や架空の町の地図など、色を使わずに自分の世界を表現していた。

父・謙二さんの運転でドライブをするのが大好きな誠人さん。小学校入学以降に誠人さんが描きためた絵は、ドライブの車窓から見た景色に着想を得たものだ。
父・謙二さんは誠人さんの絵を見るたびに、「ドライブでそんなところを見ていたのか」と、後になって息子の視点を知ることとなり驚いたという。
母・純子さんも「相変わらず、この当時は人に興味がないから、等高線、電線、鉄塔…そういったものも黒と赤でしか描かなかった」と当時の作風を見ている。
■作品にあふれ出した彩り「誰かの影響がこんなふうに…」

そんな誠人さんの表現に、“彩り”という変化が表れたのは数年前のこと。
ピュアハウスでの休憩時間、1人の利用者と同じテーブルで絵を描く誠人さん。
言葉は交わさないが、イラストを交換するなど2人特有のコミュニケーションがそこにあった。
ピュアハウスの木津明美さんは「彼女と一緒に絵を描くようになってから、彼女の色彩豊かな絵に感化されて誠人さんの絵にも色が入るようになった。最近は人の絵を描いたり花の絵を描いてみたり…。他の人の影響がこんな風に出てくるんだなと思った」と誠人さんの変化を語る。
人に興味を持たず鉛筆の黒を主役にしていた誠人さんが、彼女の影響を受けたことで彩りを持って世界を描き始めたのだ。
■小さなカードに思いを込めて…きょうは『母の日』

両親に話を聞いていたこの日、自室からリビングに降りてきた誠人さんが母・純子さんに1枚のカードを手渡した。
「きょうは母の日です」という言葉とともに。
そこには、母・純子さんの優しい笑顔、自身の顔とカーネーションという彩り豊かなイラストが添えられていた。
父・謙二さんは「すごいサプライズ。こんなことをするんだ…」と息子の粋な計らいに驚いた様子。
カードを受け取った母・純子さんは、「今までこういう感情的なものを描くことはなかった。感情が少し豊かになったのかなと思う」と涙をぬぐった。
■両親“親亡き後”への不安を吐露

誠人さんの放つ彩りがまぶしく光り出した一方で、両親の胸にはある不安が募り始めている。
母・純子さんは噛みしめるように本音をのぞかせた。
「息子は30代、私たちも60歳になる。この先の“親亡き後”のことを考えると、好きなことだけをやって生きていくのは普通の人でも難しい。変な話だが、できれば息子よりも一日でも長く生きていきたいという気持ちもある」
親亡きあとを考え、息子の将来を案じ始めた両親。その思いの傍らで、誠人さんは日々を重ねている。
■「一生の宝物」を携えてきょうを生きる

5月のある日、三条市の複合施設『まちやま』でピアノのミニコンサートに臨んだ誠人さん。

ショパンの『革命』などを披露し観客から大きな拍手を受けると、「大勢の前で演奏するのが一番気持ちがいい」と話し、その表情は晴れやかだった。
ピアノを弾いている時間は、誠人さんにとってどんなものだろうか?尋ねると、誠人さんからは「一生の宝物です」との答えが返ってきた。
そんな「一生の宝物」が誠人さんの隣にはいつもある。
音で、絵で、自分を取り巻く世界に彩りを加えながら、石月誠人さんはきょうを生きている。
最終更新日:Sat, 06 Jun 2026 09:00:00 +0900




