元日本代表・本田圭佑を獲得したシンガポールFCジュロンのチェアマンに聞く 地方クラブ生き残りのカギ「徹底的な差別化」

シンガポールのサッカークラブ『FCジュロン』でチェアマンを務める、アルビレックス新潟元社長の是永大輔氏。かつて赤字だったクラブ経営を立て直してきた是永氏に、地方クラブが生き残るために必要な視点を聞いた。
NST新潟総合テレビ

シンガポールのサッカークラブ『FCジュロン』でチェアマンを務める、アルビレックス新潟元社長の是永大輔氏。かつて赤字だったクラブ経営を立て直してきた是永氏に、地方クラブが生き残るために必要な視点を聞いた。

■サッカーの仕事に就いた理由

是永大輔氏

かつてアルビレックス新潟の社長を務め、赤字だったアルビレックス新潟シンガポールの経営再建にも取り組んだ是永氏。サッカーの仕事を志した原点は、2002年の日韓ワールドカップにあったという。

「普通に就職したら、日本開催なのにワールドカップを生で見られない。それはいやだと思った」

小学生のころから海外クラブに関心があり、将来はサッカーに関わる仕事がしたいと考えていた是永氏。大学時代には、自身のブログサイトで毎日のようにサッカーの記事を2〜3本書いていた。

そして、大学卒業の時期に迎えた2002年の日韓ワールドカップ。

当時は携帯電話向けウェブサービス『iモード』が広がり始めた時代で、サッカー情報を配信するサービスがアルバイトを募集していた。

是永氏は迷わず応募した。大学時代に続けていたことが、そのまま仕事になった。

「同じことをやっているのに、お給料がもらえる。しかも試合も見られる。天国みたいだった」と、当時を振り返る。

記事づくりに打ち込む姿勢は周囲からも高く評価され、やがて編集長を任されるようになった。

これをきっかけにサッカーに関する仕事の道を開いた是永氏。取材では飽き足らず、好きなサッカーチームだったスペインの『FCバルセロナ』と仕事をしたいと、日本向け公式サイト制作を提案。これが実現し、マンチェスター・ユナイテッドやリバプールなどとも仕事をするに至った。

■20歳で書いた「30歳の自分リスト」にあった「サッカークラブの社長」

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仕事の幅を広げていった是永氏だが、20歳のころに“30歳の自分”というテーマで、将来の目標を100個書き出していたという。

「海外に住んでいる」「日本と海外を往復する仕事をしている」「サッカークラブの社長になっている」

当時はパスポートも持っておらず、海外経験もなかったが、海外での仕事を見据えていた是永氏。

2006〜2007年ごろ、FCバルセロナなど欧州クラブとの仕事がひと区切りしたタイミングで、アルビレックス新潟シンガポールの社長を探しているという話が舞い込んだ。

「シンガポールに行ったことはなかったし、東南アジアも未経験だった。でも、サッカークラブの社長はドリームジョブだと思っていたから、すぐ『やります』と答えた」

29歳での就任だった。20歳のときに書いた目標は、30歳を待たずに現実になった。ただ、待っていたのは決して甘くない現実だった。

クラブは経営状態が芳しくなく、アルビレックス新潟からの補助金に依存していた。しかも、シンガポールのリーグで戦うチームは日本人選手だけで構成されていた。

「Jリーグにブラジル人だけのチームが1つあるようなもの。誰が応援するんだ、という話」

こうした中で是永氏は、“クラブがある理由をつくる”ことに取り組んだ。

「このクラブが存在する理由を、できるだけ多くの人に刺さる言葉にしなければいけなかった」

そこで是永氏が打ち出したのが、日本の人口減少という大きな課題との接点だった。

少子高齢化が進む中、海外でプレーした選手が帰国後に子どもたちへ実体験を伝えることで、「自分にもできるかもしれない」と思えるきっかけになる。

そうした積み重ねが社会にとっての価値にもつながる―。是永氏は、そんな物語をクラブの存在意義として発信し続けた。

■「ヒール」として参入し、やがて愛されるクラブへ

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シンガポールリーグの歴史を知れば、アルビレックス新潟シンガポールの立ち位置がより鮮明になる。

シンガポールはかつてマレーシアリーグに参加しており、ナショナルスタジアムが5万5000人で満員になるほど熱狂していた。

しかし1996年に独自のSリーグを設立すると、観客数は年々減少。1万人から5000人、3000人、1000人へと落ち込んでいった。

危機感を強めたシンガポールサッカー協会は、海外クラブを招く方針を打ち出した。

国同士の対立構図があればリーグが盛り上がる、という考え方だった。

中国、韓国、アフリカのクラブも参入したが、ビザの問題や経営難などで長続きしなかった。

そこでJリーグと日本サッカー協会に声がかかり、アルビレックス新潟だけが手を挙げた。

「要するに、ヒール役として来てほしかったんです。でも、地域貢献活動を徹底して、試合もクリーンにやって、良い選手も揃えていった。そうしたら、最初は悪役だったはずなのに、少しずつ応援してくれる人が増えていった」

2011年からはクラブハウスの運営許可を取得し、収益基盤も整えた。チームは黒字化し、2016年から3連覇を果たすまでに成長。アルビレックス新潟からの補助金に頼らず、独立採算へ切り替えたことが、クラブの自立につながった。

「アルビからの補助金がなくなってクラブがつぶれたとき、愛してくれた人たちが悲しむのがいやだった。だから、自分たちだけで続けられる形をつくろうと思った」

その言葉からは、クラブを継続させることへの強い責任感があった。

■地方クラブに必要なのは「存在する理由」と「差別化」

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スポンサーマネーで選手を補強する大型クラブが台頭する中、地方の中小クラブはどうあるべきか。この問いに対する是永氏の答えは明快だ。

「強いチームには強いクラブが必要。強いクラブとは、理由があるクラブのこと」

同じ条件なら、都会のクラブを選ぶ選手が多いのは自然なことだ。だからこそ、選手や指導者が「このクラブでプレーしたい」と思える、そのクラブならではの理由が必要になる。

規模で比べれば小さなクラブは不利になる。是永氏が語る“徹底的な差別化”とは、そもそも比較されにくい存在になることでもある。

アルビレックス新潟の在任中に是永氏が打ち出したのが、パスサッカーだった。バルセロナのスタイルに影響を受けた選択でもあり、「新潟といえばパスサッカー」というイメージづくりにもつながった。

「日本人はパスサッカーが好きだから、それを極めれば子どもたちが憧れ、日本中から集まってくるかもしれないと思っていた」

地方クラブが東京や大阪の大型クラブと同じ土俵で戦う必要はない。ただし、何かひとつ「ここにしかないもの」を持てるかどうかが、クラブの命運を分ける。

そして今、その考え方をシンガポールの新クラブ『FCジュロン』でも形にしようとしている。

工場が多く、「臭い」「遠い」といったイメージを持たれがちなジュロン地区に根を張り、魅力あるクラブをつくることで、まちの印象そのものを変えていこうという挑戦だ。

「サッカークラブづくりはまちづくり」クラブのあり方を通じて、地域の価値そのものを高めていく―。是永氏のビジョンは、そんな発想に支えられている。

地方クラブが生き残るためには、規模の大きさではなく、そのクラブにしかない価値をどう示せるかが問われている。これは、サッカークラブだけでなく、他のスポーツチームや自治体、そして企業にも言えるのかもしれない。

クラブの存在意義を問い続ける是永氏は2026年、クラブ名を変え、元日本代表の本田圭佑の獲得を発表した。その理由とは…

(新潟ニュースNST編集部)

最終更新日:Fri, 29 May 2026 19:34:39 +0900