

長野県との境にある新潟県津南町で31歳で全国最年少町長となり、2人の子どもを育てながら町政を担ってきた桑原悠氏(39)。人口減少、学校統合、病院再編、議会との調整…小さな町のトップとして直面した課題は、地方自治の現実そのものだった。退任を前に、桑原氏が語った8年間の葛藤と、次世代に託す思いを聞いた。(前編・後編のうちの前編)
■「ここが原点」 女性リーダーに憧れ

雪下人参やアスパラガス、スイートコーン、そしてオリエンタルユリの一種であるカサブランカの産地として知られる新潟県津南町。
豪雪地帯でありながら、雪解け水の恵みが豊かな農産物を育んでいる。
雪は厄介者であると同時に、恵みでもあるという逆説的な関係が、この町の暮らしの根底に流れている。
のどかな町で生まれ育った桑原悠町長。公務員だった父親の影響で、食卓では公共的な話題が自然と上り、幼い頃から政治や社会のあり方への関心が芽生えていたという。
「東京に出ても、どこへ羽ばたいても、津南町がお前の原点だということを忘れるな」
この父に言われた言葉が原点だと話す桑原氏。
女性リーダーや意思決定権者への憧れもあり、中学時代に生徒会の副会長、高校のバレー部では部長を務めた。
「自分が動くことで場が少し良くなる、みんなが気持ち良くなる。そこにやりがいを感じていた。当時、意思決定の場における女性のロールモデルはとても少なかったので、国連難民高等弁務官やJICA理事長を務めた緒方貞子氏に憧れを抱いていた」と振り返る。
■大学院在学中に町議選出馬を決めた理由

早稲田大学社会科学部を卒業後、東京大学公共政策大学院に進学した桑原氏の人生を変えたのは、2011年の東日本大震災と、その翌日に発生した長野北部地震だった。
地元・津南町が大きな被害を受けたという知らせを目にしたとき、「公共政策を学んできた自分が故郷の最大の危機に背を向けることはできない」という思いが一瞬でこみ上げ、その年のうちにUターンを決意した。
在学中の2011年、津南町議会議員選挙に出馬。大学院生の若い女性が選挙に出ることは前例が少なく、家族からも「やめた方がいいのでは」という反対の声があった。それでも桑原氏には大事にしている思いがあった。
「万全な準備をした上で臨むというよりは、熱意を帯びたときに行動するのが大事だと思っている」
この言葉通り桑原氏は出馬し、1000票以上を獲得してトップ当選を果たした。
「珍しいことだったし、びっくりされた」と笑いながら語る桑原氏だが、当選後に殺到した取材の依頼はほぼすべて断った。
「そのときは、町のことをより深く知ること、町民の声を聞くことに集中すべきだと思っていた」
注目や話題性よりも、足元の現実を知ることを選んだのだ。
■想像を上回った人口減少の現実ー議員1期目の衝撃

議員として地域に入り、最初に突きつけられたのは、“人口減少の加速”という現実だった。
少子高齢化という言葉自体はすでに広く知られていたが、実際に地域の中に身を置いてみると、単なる高齢化ではなく、人口そのものが急速に減少する局面に入っていることを肌で感じた。
「コミュニティの維持活動、公共施設、医療、保育園、小学校。行政運営のすべてに影響が出ている状態だった。自分が想定していたよりも仕事の難しさを感じた。まさに理想と現実のギャップというか…」
こうした現実を前に、彼女が議員として最初に取り組んだことの一つが“議会の見える化”だった。
当時、津南町議会には議事録の公開もなく、インターネット中継もなかった。
桑原氏は議会の仲間とともに、当時広がり始めていたインターネット中継を活用し、議会中継の導入を推進。新潟県内の自治体の中で先駆けて実現させた。
「議会で何が話し合われているかが見えることで、町民の政治への関心が高まる。今では当たり前のことだが、当時は議場にカメラを入れるのも大きな一歩だった」と振り返る。
ただ、女性かつ若手という立場から声を上げづらかった実態も口にする。
「津南町の議会には派閥のようなものはない。ただ、当時の地域社会には、年長の男性が意思決定をして、女性とか若い人たちが意見を言いにくい構造がまだ残っていた。そういう中で、若手の女性議員として声を上げることには勇気が必要だった」
こうした状況で桑原氏は全国にいる同世代の若手議員たちとのネットワークを築くことで、孤立せずに力をつけていった。
■子どもが1歳半と3歳のとき、全国最年少町長へ

議員として約7年を過ごした後、町議2期目の途中となる2018年の津南町長選への出馬を決断。そのきっかけは“母親になったこと”で感じた思いだった。
「結婚して子どもを産んでから、自分たちの世代だけでなく、子どもたちの世代のことを、これまでとは違う重みで考えるようになった。将来につけを回さない仕組みをつくることが大事だと思い、町政全体を担う立場になりたいと思った」
しかし当時、子どもは1歳半と3歳。家族のほぼ全員が反対した。
ロールモデルが少なかったこと、小さな子どもを抱えながら首長を務めることへの周囲の懸念、“母親は子育てに専念すべき”という地域の空気。そうした壁が重なった。
それでも「熱意を帯びた時に行動する」という信念のもと、彼女は出馬を決意し、31歳で初当選。当時の全国最年少町長として再び注目された。
■「決めても前に進まない」首長として直面した町政運営の難しさ

町長就任後、桑原氏が最初に実感したのは、議員と首長の仕事の根本的な違いだった。
「議員は行政にツッコミを入れ、得意なテーマで勝負するのが仕事。首長は実際に舵を取り、人を動かし、理解を醸成することが仕事。選挙と就任後の活躍はまるで二刀流のように違う」
さらに、「意思決定をすれば前に進む」という当初のイメージは、すぐに崩された。方針を決めても関係者との協議、議会への説明、住民への丁寧な情報提供。細かな調整が次々と必要になる。時には決定が覆されたり、なかったことになることもあったという。
町長就任直後には、津南中等教育学校の募集停止問題、新型コロナウイルスへの対応、そして小学校の統合や町立病院の縮小・連携など重大な課題が重なった。
高齢化率は約45%に上り、地域コミュニティの活動を担う人手も年々薄くなっていく。
「課題が重ければ重いほど、それを解決するための体力も不足する。厳しい自治体ほど対応余力がなくなるという現実を、まさに体感した」と桑原氏は言う。
それでも“丁寧な情報提供と理解の醸成”という姿勢は貫いた。
抽象的な説明ではなく、「この行政サービスにはこれだけのコストがかかっている。将来投資のためにはこの優先順位でやらざるを得ない」と具体的に示すことで、住民の理解を少しずつ積み上げてきた。
■人口減少に歯止めをかけるポイントは?

人口減少が止まらない中で、地方の小さな町はどう生き残るのか…桑原氏に問うた。
「津南町だけが良くなることを考えているわけにはいかない。魚沼全体、あるいは上越・柏崎・長岡あたりまで視野に入れながら、地域全体にとって何が良いかを考え、周辺自治体とどう役割を分担するかという視点が大事。みんなが新潟県知事のつもりになって、広い視点で動く。それがこれからの人口減少時代にますます必要になってくると思う」
広域連携の視点を持つことで、単独では担いきれない機能を分担し合い、それぞれの町が前向きな投資に向ける余力を生み出す。
「小さな町だからこそ機動的に動け、独自性を持ったまちづくりができる」それが地方自治の強みだと信じてきた桑原氏。
しかし同時に、財政・人材・ノウハウという“三重苦”を抱える小規模自治体の限界も、身をもって知った8年間でもあった。
■次の世代への問いかけー8年間が残したもの

2期目での退任を決断した桑原氏。議員時代から14年以上にわたり、雪深い山間の小さな町で、理想と現実のギャップに向き合い続けてきた。
「課題というのは、ある日突然現れるものではなく、時間をかけて積み重なって次の世代に重くのしかかっていくもの。だからこそ、足元の課題に対応するだけでなく、次の世代に過度な負担を残さないことを常に意識してきた」
子どもを育てながら全国最年少の町長として奮闘した姿は、「母親だから政治のトップは無理」という先入観を打ち破るものだった。
子育ては“みんなで担うもの”という考えのもと、家族の理解を得ながら両立した経験は、地方における女性リーダーのあり方に、一つの具体的な実例を刻み込んだ。
その一方で、二元代表制の難しさも実感した桑原氏。その象徴的な問題が町のリゾート施設『ニュー・グリーンピア津南』の売却をめぐる問題だった。
この二元代表制の難しさが浮き彫りになったこの課題については、後編で詳しく伝える。
(新潟ニュースNST編集部)
最終更新日:Sat, 04 Jul 2026 19:00:00 +0900



